あの頃の映画スター 31
原作より映画を先にみるモグラ男爵ですが、「キネマの神様」だけは先に小説を読んでしましました。 この本のなかに「名画座」が何度もでてきます。大阪では、名画座といえば梅田・堂島にあった「大毎地下劇場」を思い出す人は多いでしょう。大阪に限らず阪神間に住んでいた人たちにとっては、とてもよい名画座でした。 大阪万博が終わった1970年の10月頃から、テレビの洋画劇場で映画を手あたり次第に観だして、趣味のメインが映画にシフトしてから、大毎地下劇場で初めて観た映画は「この愛にすべてを」と「シェーン」の2本立てでした(1971年3月)。大毎地下でみた「シェーン」の感激は今も忘れません。 それから半年ほどが過ぎたころに初めて買った「スクリーン」が残っていました。 1971年6月号、定価は340円ですが、小さな本屋に並んだ「スクリーン」を手に取って、しばらく躊躇したあと思い切ってレジに持っていったはずです。 表紙はアリー・マッグロー(当時の表記)で、「ある愛の詩」(1970年)がヒットした翌年。当時、どちらかが死んでしまうというストーリーの恋愛ものを観るのがイヤで、この映画を観たのは、公開から40年後のことです。