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カテゴリ:☆物大好き
その昔、スペースシャトルの「チャレンジャー号」が爆発した時、友人に「残念だったな」と言われた。
当時自他ともに認める天体マニアに対してそれくらいしかかける声がなかったのだろう。 うん、確かにあの事故は残念だった。でも、本人はそんなに残念だとは思っていなかった。 なぜなら、あの事故自体は自分とは違う世界で起こっているかのようだったから。 あの事故を目の前で見てしまった親族や、TV中継で見た子どもたちのショックは相当なものだろう。 でも何故か自分にとっては、違う世界の違う出来事のように思えて仕方がなかった。 遠い異国の出来事だから? それとも日本人が犠牲者になったわけではないから? いや、違う。宇宙に行くというのは危険なことであるというのをわかっていたけれど、そういう状況に自分がなりえるかということが想像出来なかったからだ。 宇宙に飛び立つということが現実的に感じられなかったあの頃。 今ではお金さえアレば宇宙に行けるらしいのだけれど、当時はそんなことがあるわけでもなく、そんな宇宙への遠い思いが現実感のないものとして考えてしまっていた原因だろう。 それに・・・。ハレー彗星の観察でも忙しかったし。 そう、そのハレー彗星にも勝るとも劣らないと言われていたアイソン彗星が、消えたとかいう話になっている。 当初はあれだけ期待させていた・・と言っても周りが勝手に騒いだだけだけれど。 ハレー彗星は望遠鏡を駆使して、何とか見たけれど、アイソン彗星は結局見ずじまいだった。 もし見られるのなら、見たいんだけれどね。 でも、もしアイソン彗星が光り輝いて見えるようなことがあれば、それはまた同じ年にチャレンジャー号のような悲劇が繰り広げられるということではないだろうか? そんなのは困る。だから、アイソン彗星は見られなくなっても仕方がない。 そうやって、自分を落ち着けているんだけれど、やっぱりちょっと苦しいかな?? 訳の分からない内容ですんません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.12.01 03:47:46
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