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新生のらくろ君Aの館

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サウジアラビア時代その3



私がサウジアラビアで仕事をした時の日記(3)です

サウジアラビア航空
日本人会のソフトボール大会が終わり、JGC社アラビアの所長宅の集まりに参加した。7才と5才の男の子のいる一家は、コバールのコンパウンドの一番大きな家に住んでいた。そこを辞去してジェッダに帰るべく空港に向かった。空港に着いたのは3時過ぎだった。まだ前のリアド行きの最終案内をするような時間だった。折しも空港内のラウドスピーカーは、サラーのまっただ中であった。

「アッラーハ、アクバル、イラーハイッラッラー・・・」を朗々と吟唱していた。それはそれで良いのだが、チェックインカウンターには2名の男しかいなかった。一方は10名程度が列を作っているが、片方は3名ほどだ。当然数の少ない方に並んだ。そこは、荷物無しの旅客との看板が掛かっていたが、なにやら団体の荷物を扱っていた。しばらく時間がたった後係の男はふと私に、私のデューティ-は済んだので、あっちの列に並べといった。何と身勝手な奴だと頭に来るものの、仕方なく別の列の後部に付いた。その列の係は、加藤茶のような男で事務処理は遅く、一人3分以上は掛かっていた。
やっとの思いでボーディングパスを入手し、搭乗ゲート前に手荷物検査をくぐった。そこで、X線検査係が別の男を呼びバックを調べろと云っているようだ。男が私をラインの外に呼び、バッグを開けろと云う。男は念入りに調べていたが当然ながらなにも見つからない。やがて納得して、締めて良いという。何故かは云わない、横柄な態度だ。ゲート116ではさすがにまだ誰も来ていない、というか先のリヤド行きのファイナルコール中で、係官に、リヤドか?と聞かれた。いやジェッダだというと信用せず、ボーディングパスを見せろと云う。見せてやっと安心したようだ。

ベンチに腰掛けたり、横になったりで、しばらく本を読んでいると、なにやらテレビモニターが点滅している。近寄ってみると、何と我がSV1117がキャンセルとなっているではないか。慌てて近くの係員らしきものに聞くもらちがあかない。空港内の事務所に行き、聞いてみても何も分からない。6:00出発なのに、6時過ぎに分かるという。他にも西洋人が来て心配そうに聞く、アラビア人もアラビア語で聞いている。らちがあかず、とりあえず1時間遅れかと云うことで一旦事務所を出た。西洋人をマークしていると動向が分かるかと思いつけていった。1時間後も何のアナウンスもない。ゲート122に移って待っていると、なにやら人だかり、すわ出るかと並ぶも、アラビア語の説明ばかりで分からない。その内、なにやら人が入っていく、並んでパスを見せると、マニラからかと云う。違うというと、マニラからのトランジットだけだという。見れば小汚いフィリピン人ばかりである。
私は、アラビア語では分からない、英語で説明しろと迫ると、私に付いてこいと云う。しばらく進んで、私を座らせ、之から次の便のボーディングパスを作るから此処で待っていろと言った。
唯一の証拠品と別れると、後どうなっても分からなくなるので、かまわずその男についていった。男は計算機が故障だとか、ボーディングパスの紙がないとかあちこちを歩き回った。そのたびに私もあちこちを思い鞄と共について歩いた。私は最後に何とか、「おい、ハビビ、ソディック何とかしてくれ、私は疲れた」というと笑って、「ノープロブレム」という、何がじゃと思いながらやっとの思いで新しいボーディングパスを入手した。
       注:ハビビ:親しい人に対して(通常恋人)・ソディック(友達)
出発時刻は、9:30となっていた。都合3時間半の遅れである。この間一切の説明はなかった。
男はそこのレストランで夕食が出るというので、レストランにはいると、夕食は出すが8時からだという。仕方なしに、レストランの片隅で8時になるのを待った。夕食は均一のうまくないサウジのカレーだった。やっとの思いで搭乗したが、出発はさらに30分遅れて、10時頃になり、ジェッダには翌0時を過ぎた。
KOさんに手配を依頼していたインド人ドライバーの顔を見たとたんに疲れがどっと出た。
何しろサウジ航空以外にないのだから、横柄で、殿様商売の航空会社である。




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