恋愛体質 妄想編
中学の時、チェッカーズに夢中だった。コンサートに行っては、キチガイのように毎日フミヤ フミヤ言ってた。執着心のない私が、その時以来夢中になってる人。その人の名は、大泉洋。北海道にいる時『水曜どうでしょう』を見て、おもしろい人だなぁと思ってて、全国に来た時、来た!やっぱり来た!と周りにどれだけおもしろいかを力説してた。ここまで夢中になったキッカケは覚えてないけど、所属事務所にたまに更新される彼のブログを見たりして、その思い、あったかさ、大切に思うものを知り胸を打たれ、言いたい放題ボヤキ放題、天性のおもしろさとのギャップにあっけなくコロリまいった。恋ですよ恋。現実では恋愛体質からほど遠い私が35歳にしてTVの中の人にあっさりと恋どこかで会えるという妄想。いや会いたいという願望。すごく合うと思うんだけどなぁ。ヤバイな、こりゃ。お一人様が長引くとこうなるのか?笑6年付き合ってお別れした人が2人いる。私はいつも、付き合うと長い。でも結婚は恐怖だった。母を見ていて幸せそうだと思った事は1度もなくて。母だけじゃないな。家族というものに。母は奴隷のようだった。DVで外にいつも女を作り、感情のコントロールができず、家に帰ってきては暴れ、お金を出せと言っては暴れる父が結婚前はとても優しい人だったのよと聞いて、愕然とした。結婚は『賭け』だという恐怖がどうしても拭えなかった。小学生の時、家にいつも遊びに来てたお姉ちゃんの父への手紙を読んでしまった時も、中学生の時、家にかかってきた女からの電話をとってしまった事も、その内容も誰にも言えなかった。お母さんも妹達も、知ったら悲しむと思うと誰にも言えなかった。私が言ったら壊れる、私が守らなければと思った。そんな事は、その後もずっと続いた。子供も。私は子供が嫌い。それは子供の頃の自分が嫌いだからだと最近気付いた。甘えたいのに甘えられない、周りの子が大人にかわいがられてるのを見て『媚びてる』とゾッとした。そう思いながらホントは私もそうしてほしいと思ってる自分がたまらなく嫌だった。どこにいても居心地が悪く、妹達はかわいいのに自分はぶさいくだと思い、思った事を言えず、いつもイライラして、でも家では父の暴言、暴力、恐怖に押さえつけられていた。小学校の高学年にもなると、イライラが押えられず毎月買う『りぼん』というマンガをカッターナイフでボロボロに切り裂いて発散していた。オソロシイ中学、高校では殺意を押えるのにギリギリ。高校では憎しみが自分に向かった。ヒプノセラピーで、「幼い頃の、ただただ楽しかった頃に帰っていきます・・・」って所で「帰りたくない!!」と強烈にブレーキがかかった。そして少しずつ、いつなら帰れるんだろうって年を重ねていったけど、どこにもなかった。あぁ、私幼いころの、ただただ楽しかった頃ってないんだ。って気付いた時、泣いて泣いて泣いた。帰りたい頃がなかったのが悲しかったんじゃない。そんな自分だったんだって気付いた事に涙が出た。そして癒された。浄化された気分。自分でも無意識にフタをして鍵をかけて遠くに置いてきた気持ち。そのフタを開ける。遠くに置いたままで今まで通り、自分でも気付かないまま明るく元気なチャレンジゆうちゃんでいれたら楽だったけど。気付いてしまったから。そのままではいれなくなった。その時期にきてたんだと思う。それはとても苦しいけど、そうして癒される。自分の中から浄化されて感情を理解し許して手放していく。そうすると子供を見てもあまり拒絶反応をしなくなった。相変わらず子供の媚びを武器に使う子は別だけど、自然に子供と接する自分がいる。今までに結婚や出産をしてなくて本当に良かった。虐待してしまってただろうから。満たされない子供の自分を胸に持ったまま、愛を与えるなんてできなかった。や、愛って何か知らなかったんだ。1歩進んでは2歩さがり、今わたしは進んでいる。気を抜くと、昔の自分に意識が戻り無意識にどんよ~りしてしまうから、大泉の洋ちゃんを思い出し、あんな人に出会い、大笑いしながら人生を一緒に行ける自分を妄想してます。感情が楽しく明るくなる。ん?現実逃避?悪い?あぁ、洋ちゃんありがとう。あんな人間性の人と、生きていきたい。いや、いける。いやいく!いつか、必ずどこかで会おうねぇ~~~。