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貝原益軒の養生訓に次のような文章があります。
およそ人の楽しむべき事三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても此三の楽なければ、まことの楽なし。故に富貴は此三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、又養生の道をしらずして、身に病多く、其はては短命なる人は、此三楽を得ず。人となりて此三楽を得る計なくんばあるべからず。此三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。 貝原益軒は言います。 「人として生まれたならば、楽しまなきゃ損なことが三つある。」 「一つは、よい行いをして、自分の中にある自尊心を高めることを楽しむこと。」 「もう一つは、常に心身の健康を保って、日々の生活を楽しむこと。」 「最後に、長生きをして、人生を長く楽しむこと。」 さらに彼は言います。 「どんなに金持ちであっても、この三つの楽しみがなくては、本当の楽しみを得ることはできない。だから、金持ちになることは、この三つの楽しみを得ることとは関係ない。」 彼は何回も強調します。 「もし自尊心を持たずに、心身の健康を守る方法を知らずに病気ばかりして、結局は短命に終わる人はこの三つの楽しみを得ないままに死ぬことになる。人として生まれたのに、一番大事な三つの楽しみを得ないまま死ぬなんてなんてばかばかしいことだろう。この三つの楽しみがないならば、どんな大金持ちを極めても、生まれてきた意味がない。」 財政的に豊かになることと、幸福になることとは関係がないと貝原益軒も考えていたのです。「どんなに金持ちになっても幸福を知らなければ生まれてきた意味がない。」と言い切っています。 もちろん、貧乏であっていいという意味ではありません。自分が困らない程度には経済的に潤った方がいいと思います。しかし必要以上の冨は必要ないのです。 貝原益軒は、別の項で「およそ人のやまひは、皆わが身の慾をほしゐままにして、つつしまざるよりおこる。養生の士はつねにこれを戒とすべし。」と言っている。つまり、欲が多すぎて、自分の心身の健康や周囲の環境に無理や負担をかけることが問題なのです。 「経済的に豊かになりたい。」という欲はほどほどの方が幸せでしょう。 それよりも大事なことは、貝原益軒の言う「心に善を楽しむ」「養生の道」であり、我々アドレリアンから言わせると「共同体感覚」を成長させて、たくさんたくさん周囲の人や社会に適切な(社会がより良くなるような)貢献をすることだと思うのです。 ………………………………………………………………………………………… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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