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考えるという作業は、意識がやっている。 人は、意識の限界を知っていた方が良い。何でも考えたらどうにかなると勘違いしないほいうが良い。 脳に限ってみても、意識の処理能力は、1秒間に15ビット。それに対して、無意識の処理能力は、1秒間に1100万ビット。約100万倍である。 考えに考えても、意識できないことの方が圧倒的に多いと言うことを知っていた方が良い。 物事がうまく運ぶ人や幸せを感じながら生きている人、スムースに成功させている人は、この無意識の使い方がうまいのだ。 たった15ビットでいくら頑張っても、たいしたことは出来ない。 一日20時間頑張り続けても(本当はそんなに意識は集中できない)、無意識が1秒間にやってのける仕事の10分の一も処理できないのである。 偉大な発見や優れた仕事は、ほとんどこの巨大な無意識の力を使って行われている。 例えば、万有引力の発見もニュートンが考えるのをやめて散歩しているとき、リンゴが木から落ちるのをみてひらめいている。考えるのをやめたから、無意識からインスピレーションがひらめいたのである。 湯川秀樹の中間子理論も考えつかれた湯川氏が、公園でまどろんでいるときに、葉っぱの影を見て、ひらめいている。このときも、考えるをやめたときに、無意識からインスピレーションが下りてきている。 ベンゼン環の発見もそうである。夢の中で蛇が自分のしっぽをくわえているのを見て思いついている。これを完全な無意識からのお知らせだ。
自分の心を癒す作業もそうである。意識でいくら頑張っても、無理である。 意識でいろいろと考えるのは、無意識のじゃまをしているだけだと知っていた方が良い。 もちろん、つい意識でじゃまをしても、意識で考える自分を責める必要はない。というか、自分を責める 方向性は、破壊的な結果を生み出す。 かといって、意識で考えてしまう自分を甘やかしもしないで、(ここが重要である。「自分を責めないで下さい」というと、「じゃあ、自分を甘やかすんですか」と言う人がいる。不適切なことをやってしまって、「いいいい。どんどんやってしまえ!」と不適切な行動を容認して、甘やかしたら、やっぱり不適切な結果が待っているのには違いがない。何事も極端はいけない。中庸が一番いい。仏教でいう中正道である。不適切なことをやったら、責めないで、にっこり笑って、修正するのである。) 淡々と、意識で考えるのはやめて、無意識にお任せするのだ。 いくら意識で20時間ぶっ通しで頑張っても、無意識の10分の1秒ほどの働きしか出来ないのだ。 あきらめよう。 「私には、意識の100万倍の力を持っている無意識という強い味方がいる。今までは、その力を使ってこなかっただけだ。大丈夫、きっとうまくいく。」 「大丈夫だよ。」と自分自身を勇気づけ、安心させよう。優しく、温かく、辛抱強く、大丈夫だよって安心させよう。 無意識が本当に安心したとき、本当に自分には出来ると無意識にインプットされたときに、あらゆる難題は解決に向かいだし、症状は解消され出すのである。 ましてや、つらい感情だけならば瞬間的に解消される。
熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp
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最終更新日
2010年08月13日 11時43分22秒
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