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カテゴリ:アメリカ・日本の発見・比較
ここのところ、民主党議員がワシントンにちょこちょこやってきています。で、気になるのが、話し方だ。
日本人ってまじめな人ほど、大まかな話はしない。できるだけ、細かい話、具体的に詰まっている話をしたがる。相手が分かろうと分かるまいと、それほど細かいものを相手は求めているのか?という自問もなく。官僚や官僚上がりの政治家なども大体この範疇に入る。 けれど、今の民主党政権は始まったばかりだし、アメリカに来たって、ネタらしいネタがあるはずもない。 すると、未定だから、といって、腰砕けで逃げ腰だ。 こういうのは、一番、アメリカ的によろしくない。敵前逃亡、負け犬って感じ。だったら、なまじ来なくてよろしい、と思うのだが、まあそうもいかない。 もっとも、自民党時代もそうだったけど。 じゃ、そういうとき、どうすればいいのか? とりあえず、積極的に聞こえるようにいえばいい。 具体的には未定だが、できるだけ、君たちの意見を聞いて、採用できるように配慮していきたい。 これがメッセージとして伝わればいいのである。 日本だと、総論ってあまり評価されない。「総論賛成、各論反対」ということばがあるように、総論はいいから、それよりかは、各論でどうなるの?というところに注目がいきやすい。 もちろん、アメリカにもまったく、「総論賛成、各論反対」という考えがないわけじゃない。直訳したら、細かい部分に悪魔がいる、という表現がある。ので、細かいところまで注意せよ、総論がいいからといって、気を抜くな、という意味で使われる。 というわけだから、基本、細かい話よりも、大まかな話を好む。特に、政治家の話なら、官僚じゃないんだから、細かい話を期待してない。どういう方向性なの?そういうリーダーシップを期待している。 例えば、鳩山首相がチェンジの波が日本にやってきた、と評価したオバマの演説。この人から、細かい話を期待してはいけない。っていうか、いくつか和訳されているものを全文呼んでみるといい。 その話に触れたけど、要は何なの?と思って聞くと、全然中身がなかったりする。非常に要約のしにくい演説をする。 きっと細かい話をすればできるはずだ。頭のいい人だから。けれど、敢えてしてない。 なぜなら、それが政治家の話し方だと心得ているから。 政治家が民衆に話をするときに、法案の細かい話をいちいちしない。地元の人にとって何が関心事なのか、十分に下調べした上で、なおかつ話をしている最中に民衆の反応を見ながら、相手にあわせた話し方をする。地元の人にとって失業問題が最大の関心事項なら、自分がどれだけ雇用創出をしたかを話したり、これからもっと、再雇用研修センターを作りますとか、なんとか、受ける話だけを切り取って、かんで含めるように説明するのである。 そうして、説得力を養っていく。そして、聴衆の側には、言葉への尊重がある。 日本みたいに、不言実行、男は黙って××ビール、という世界ではない。 それから、間違っても、親善を目的としてきて、「ない」なんてネガティブなことばで終えるな。ポジティブな言い方をするべし。 特に、民主党政権の目指す、日米関係に関する報道はとりあえず、見直し、という言葉に集約されて、いい方向にいくんだか、悪い方向にいくんだか、分からない。だから、悪い方向に行かないでね、というワーニングだけが、アメリカから発せられる。昨日からゲイツ国防長官が来日してるけど、そのときだって、対応の仕方は同じだ。 民主党のいう、今までの政策の精査をする時間はくれ。この主張は、ゲイツでも理解できる。だが、聞きたいのは、いい方向になるんだろうか?ということだ。改悪になっては困るのだ。 民主党的には、いい方向になるよ、なんて保障はできないかもしれない。そこまでいえるにしても、できるだけ早急に結論をだすようにがんばる、とか、あなたの意見はできるだけ尊重するとか、きくよ、とか、配慮するとか、そういう言葉が必要なのである。 それがあれば、ある程度、不安を払拭できる。 前例がないだけに、不安が広がりやすい。そこで、大丈夫だよ、というメッセージが大量放出されねばならないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 20, 2009 03:11:09 PM
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