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テーマ:私の好きな歴史の話(182)
カテゴリ:私見・薩摩学原論
第二。官吏といえども、脇差しを廃するは、随意たるべきこと。 明治2年1869年。 新政府は公議所を新設。 森有礼は23歳の若さで雄藩薩摩を代表する公議人でした。 これが彼の有名な廃刀論です。 薩摩の欧州留学生が乗った船は トーマス・グラバーが世話をしたものです。 オースタ・ライエン号に乗船した時彼らは腰の大小を箱に収めました。 大変な衝撃・悲哀・苦悩があったようです。 刀は武士の命であったそんな時代でした。 中でも血気盛んな藩の青年若者たちだったのです。 文久2年1861年3月21日の出来事です。 刀は武士の命・・・・・・・ 深い意味を持っていそうな言葉です。 拳銃・ライフルは西部開拓のシンボル。 フロンティア精神の象徴・・・・・・・・・ きっと深い意味を持っているのだと思います。 核による牽制・核による世界のバランス 核を持つことによって始めて保たれる権威 核を持たせないことによって守られる面子 そして核による平和・・・・・・・・・・・ きっと私などには理解のできない深い意味があるのでしょう。 森有礼は日本の最初の文部大臣です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年03月06日 02時14分48秒
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