広島 原爆の日 ニュース。
たくさんの人が痛みを負った。 今もなお。悲しい。 生きているものは その苦しみ、悲しみを伝え続け、 そしてそれは、プレイヤー=「再生」し続ける 役割があること。 なーんてことで 舞台「プレイヤー」へと向かいました。 さて 感想です。 これから見る方はネタバレになるかも なので、大丈夫な方のみ読み進めてくださいね。 見終わったあとチラシを眺める。 竜也さんとトオルさんの。 「おぉ。チラシからして「プレイヤー」だわ」 チラシみて、また気持ちがゾクゾク。 大好きな人が亡くなり もし、自分の中にいたとしたら。 海老蔵さんが麻央さんのやりたかったことを やりたいと決意したことを思い出す。 人が愛しい人の死と向き合ったとき 愛しい人とこれからも歩みたいと。 それは誰しも形は変わるものの 自然な流れであることが それが、悲しみからの再生。浄化か。 周りの人間は応援したり「愛 に涙する この話も根本はそこなのに。 いや、それを利用し 視点というか、 目的を変えると こんなにも 恐ろしい話に作り替えられるのねっ。 ていうのが感想✨ すごっ。 こわいっ。て 私が感じた理由は 肉から発するにおい、温かさ、音、色。 年と共に変わり行く形は一期一会。 それらがいとおしい。 大好きだ。 だからだよね。 魂も肉も大切なんだ。 だからこのお話しは怖い。 そして 意図してないのに導かれていく 人の危うさも怖い。 心理学の実験で役割を与えると そのように行動するって。 あるあるだし。 わたしたちはなんて危うい存在なんでしょう。 それを巧く題材にして 演劇や演じるってことを 突き詰めると こういうことなのかな。 「演じる」ってことに 対しての愛憎みたいなものも 感じました。 そして、パイプ椅子の 演出が、巻き込まれていく 感覚を助長し怖かった。 怖い、怖いばかり書きましたが ある意味 お盆期間に見るには ぴったりで おもしろかった✨ さて 恒例。ファンバカな目線で竜也さん。 こんな軽い役、珍しい。 と、ずーと観ていて。 これはこれで新鮮で はっきり言って 「可愛♥」 でも、なんだか、3番手4番手な感じ。 しかーし、 ある場面で後ろに佇む竜也さんの 雰囲気に「あっ、くる」と思い。 そして------- ぞわっと鳥肌に なるのでした。 だよね。だよね。 やっぱりこうくるのが 俳優藤原竜也の役割ね✨✨😆 満足、満足。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.08.08 18:11:24
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