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首相の靖国参拝 不戦を誓うのに適切か '05/6/8 付 中国新聞社説より
小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題が国内外でさまざまな軋轢(あつれき)を生み、解決のめどが立たない。きのうは河野洋平衆院議長が慎重な対応を求め異例の申し入れをした。小泉首相は中止を決断するときである。 「心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼の誠をささげ、不戦を誓う」。小泉首相は繰り返す。しかし首相が不戦の思いを示す場として靖国神社がふさわしいのだろうか。アジア諸国だけでなく国内にも違和感を覚える人は多いはずだ。 靖国神社は明治初期の一八六九年に東京招魂社として創建され、十年後に社号が改称された。古くからある各地の神社とは性格が異なる。「英霊」を顕彰し人々を戦争へ動員する精神的支柱として機能した。一九七八年に極東国際軍事裁判(東京裁判)のA級戦犯も合祀(ごうし)するなど、明治以降の日本が行った戦争を肯定する姿勢が戦後も一貫している。 死者をしのぶ方法はさまざまである。今も靖国神社を訪れる遺族が絶えないのも事実である。しかし一国の指導者が参拝するのは意味が異なる。戦争を始めた責任者とされる人々まで祭る神社の姿勢を、政府が認めたと受け止められても仕方あるまい。近隣諸国が激しく反発するのはやむを得ない面がある。 最近は小泉首相もトーンダウンしてきたようではある。今月上旬の衆院予算委員会では、「A級戦犯のために参拝しているわけではない」と弁明。東京裁判についても「サンフランシスコ平和条約で受諾しており、異議を唱える立場にない」と述べた。「靖国神社の考えを支持しているとはとらないでほしい」とも答弁している。靖国神社の根幹にあたる部分の多くを否定しながら、ではなぜ参拝するのか。「個人の信条」だけではますます説得力を欠く。 たしなめる声は多い。河野議長の申し入れは宮沢喜一、村山富市、橋本龍太郎の各氏ら元首相との会談を受けた結果である。首相として初めて公式参拝しながら一回限りで中止した中曽根康弘元首相も「国家全体の利益にどのような作用を及ぼすか考えるのも最高責任者の大事なポイント」と決断を促した。公明党の神崎武法代表も自制を求める。 共同通信社の最近の世論調査では、参拝について「今年は見送るべきだ」との回答が57・7%に上り、昨年十二月調査より16・9ポイント増加した。国民の多くが小泉首相に危うさを感じていることを示しているのではないか。 侵略戦争を真摯(しんし)に反省したからこそ日本は「平和憲法」を持ち、六十年間にわたり戦争をしないできた。しかし最近、近隣諸国では反日感情が激しさを増している。中国とは東シナ海のガス田開発など、韓国とは竹島問題などで日本側が国益を十分に主張できない背景には各国の事情があろうが、靖国問題もかかわっているとすれば問題は大きい。 首相周辺にはA級戦犯の分祀を模索する動きもあるが、政治が強く介入して解決する問題ではあるまい。むしろ、無宗教ですべての戦没者を追悼する国立の施設がほしい。そこに少なくとも年一回は三権の代表が集い、不戦の誓いを内外にアピールしてはどうだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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