オスカーピーターソンのコンサートに行く。数カ月前に今日にイベントを入れていた自分に拍手。二年前と同じくすばらしかった。一緒にいったSは男のくせにあたしの肌荒れに本人よりも早く気付くめざとい親友なのだが、今夜はセーフ。何もいわなくても察している節もあるのですこし緊張する。なんだそりゃ。昭和のにおいのする有楽町地下街、急いで食べたジェノベーゼ、光る道路に大きなホール、オープニングアクトは上原ひろみ。はじめはベースばかり大きく、肝心のピアノが聞こえづらかった音響が気になったけれど、彼が登場する頃になるとまったく気にならなくなった。歩いてる!歩いてるよ!歩かせちゃっていいのかしら。だけど一人ずつ登場して最後に出てきた彼はひとりだけ青いスーツでとてもヒップな感じだった。さすがだよね、かっこいいや。そして大好きなレクイエムが始まった。泣いた。音楽を聴いて泣いたのはron carterのsomeday my prince will comeと、赤城さんのhanonと、そしてこれで三回目。なんて贅沢な泣き方だ。今回のだけ微妙に不純な涙のような気がしたが、まあいい。考えてみれば、母があたしくらいのときにコンサートに行ったのと同じ人をあたしは今夜見たわけだ。二年前はその母と二人で見たわけだ。変な感じ。この人には永久に生きていてほしいと思う。フィフスエレメントの中のオペラ歌手みたいだ。人間、平等じゃあない部分はあるんだよね。やっぱり。だってこの人に会いたくて、この人の音を一時間ばかし聞きたくて、何千人もの人が集まるんだよ。そしてみんなこの人をきっと愛してるし失いたくないと思ってる。まるで、自分が死ぬまでにはもう見られないだろう彗星を、これが最後かもしれないと言って見に集まる人たちのように。いや、少し違う。先にいなくなってしまうのは彼の方かもしれないのだ。だから、自分達よりも圧倒的に寿命の長い彗星とは逆だ。遠くにすんでいるおじいちゃんが、会いにきてくれて、もう次は会えないかもしれないというなかば恐怖ににたものまで感じながら少なくともあたしは今日彼を聞いて、そして彼を見ていた。それにしても散財してしまったなあ。hart二枚、オスピーのパンフとポストカード。こわいなあ、自棄って。w。寒いなあ、雨って。東京駅から1本で三鷹に行き、バスに乗る。ジャケットの中にパンフを守る。そしてひとりの友人のもとへ。その彼もいた。いろいろ話した。ちょっと泣きそうになった。なんで私がだめになっちゃってるのか、俺はそれが分からないんだけど、って。なんだか笑えた。あそこまで堂々と仲良くされたらもう開き直るしかないわな。手掛けた本のテーマも今さら皮肉だよね。そういえばアカを入れた原稿がそろそろ届くはずだなあ。あれに目を通すのか。そうか。親身になって校正しましょう。この開き直り感は絶対一時的なものだとどこかで気が付きつつ、乗れるとこまで乗っていこうとしてる自分がいる。悲しいだの可笑しいだのの判断はしない。そのわりに一大決心をしてかけた電話は留守番電話。なんだそりゃ。