いかんせん、きょうは、おかしかった。
しごとのあいだもいらいらしていて、
いやなほうの、あたしだった。
きもちをすこしでもやさしくしようと、
かえりみちに、みちでうたをきいた。
こころはやわらかくなったけれど、
いかんせん、きょうは、ひどかった。
かえりのでんしゃのなかで、
ねたふりをして、じっとたえていたけれど、
ほんとうは、さけびたかった。
かえりのよみちのじてんしゃで、
はぎしりをして、とばしたけれど、
ほんとうは、なきたかった。
なにか、はっきりしたきっかけが、
あったわけじゃあない。
ちいさいころから、いつも、ずっと、
すこしだけとくべつあつかいをされてきた、このおんなのこは、
いま、まわりのひとたちがみんなそれぞれの、
じぶんのことにむちゅうになってしまっていて、
ゆめからさめたように、とほうにくれている。
ばかだったのかもしれないし、
あまったれっていわれればそれまでだし、
いいかえればただの、せけんしらず。
だけれども、まだ、ゆめをほんとうだとしんじようとしている。
しんじたい、ということと、
いや、ほんとうはちがうよということとが、
なめているうちにいろのかわる、なつかしいあめみたいに、
じゅんぐりに「そう」をなしていて、
どれが「しん」で、いきつくさきのほんとうなのか、わからない。
むかしよんだほんにあった、ことば。
「じんせいは、たまねぎににている。
いちまいずつむいていくと、さいごには、なにもない」
それは、うそだと、ほんのうがしんじたがっている。
いまの、あたしの、りそうのひとについて。
どんなひとなら、たすけてくれそうなのか。
ひとかたまりのことばをかいたけれど、
あんまりかなしくなってくるから、
きょうは、ここには、かかない。
ことばが、わいてこないひは、あぶないとおもうけど、
さいきんのあたしときたら、いつも、
ことばことばことば、とことばをさがしていて、つかれる。
じぶんの「いま」のこころをそのままにtraceするなんて、
ちょっとかんがえればむりだって、わかるんだけど。
おとなになればなるほど、
「いま」がつかめない、せっせんになる。
こどものころの「いま」とか「あした」は、
なんてどっしりとしていたんだろう、とおもう。
あのころは、せいかくであること、なんて、いらなかった。
だってすべてがありのままに、そのときに、ぜんぶ、
はいってきていたんだから。
きっと、なにをさがすひつようも、なかった。
ひさしぶりにひとりで、なく。
あたしのなきぐせは、かわってやしない。
つぎにめがさめたら、
きょうよりもつよくなっていますように。
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Last updated
2005/06/10 04:24:01 AM
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