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2007年11月08日
#253 ●アイドル夏目漱石 念願の、夏目漱石展に行ってきました。 【江戸東京博物館】http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ 博物館や美術館というのは、催し物ひとつひとつの期間がある程度長いのに、 行きたいと思っていながら行かずじまい、ということが多々あります。 でも、彼だけは逃すわけには行きませんでした。 彼は私のアイドルだからです。 14時半に入場し、入り口で等身大人形に迎えられ、3時間後の閉館まで満喫。 ずっと立ちっぱなしでしたが何の苦も感じませんでした。 学生のころに描いた、辞書の余白への落書き。 先生だったころに書いた、学生の答案へのシビアなコメント。 あんまり上手ではないけれど楽しんでいた雰囲気のある南画。 写真、着物、集めた本やまつわる品々。 果ては骨格から算出されたデータに基づく「推定ヴォイス」。 ショップでは、付け髭も売られてました。 これ生原稿!直筆!ほんとに着てたやつ!とか、 ハードロックカフェのロックファンようなテンションになってしまった私。 時系列に沿った展示だったので、 ドキュメンタリかドラマでも見ているような気分になってしまい、 最期の章では込み上げるものが有りました。 また、本ひとつひとつの装丁や書体のデザインも素晴らしかった。 中身が芸術である、そのことが装丁から察せられ、 それそのものが独立した芸術品であった「本」。 「物の価値」についても考える時間でした。 開催は、今月下旬まで。 もう一度行こうかどうしようか迷っています。 ======================== 2007年11月15日 #255 ●いざ切るとなると 私の髪は長いです。 この間、誕生日をきっかけに切ろうかと思いましたが、 いざ切るとなるとふんぎりが付かず、まだ長いままです。 ずっと前はかなり長くて、その後、いちど物凄く短くしました。 あの「ばっさり感」がもう一度味わいたくて伸ばしていた、筈なのですが なかなか、それが出来ないでいます。 いっぺんに40センチくらい切ったその瞬間、 頭がとても軽くなったのを今でも覚えています。 あれは実に爽快でした。 早くしないと本気の冬が来ます。 本気で寒くなると、また切れなくなります。 髪の毛には血が通っていないのでそれ自体は温かくもなんともないくせに、 やっぱり長いとあったかいのです。 ときどき思い出したように逡巡しては、またにしよう、と思う繰り返しです。 たぶんこの冬も、長い髪のまま越すんだろうな、とは薄々。 ======================== 2007年11月29日 #258 ●まだ鈍い いよいよ寒くなってきました。 でも未だ、冷たい風の鋭さは冬本番のものには届きません。 切っ先がまだ鈍いというか、なんというか。東京の今は、深い秋です。 ぴりっと痛いほどの尖鋭さは、これから。 あの、肌を切るような寒さや、足の裏から凍りそうな冷たさは とても清潔な気がしてここちよく、私はとても安心します。 冬といえば清潔、規律、短い昼の間のてきぱきとした動き、というイメージ。 寒さは人の背を硬く丸めるかもしれませんが、たとえば夏のように だらしなく伸びてしまうよりも私は好きです。 しっかりと防寒をして、顔だけを冷たい冷たい外気に晒して、 きちんとしている、ということを体で確認できる季節。 毎日が、行きつ戻りつしながらも段々と温度を下げてゆく。 今日はどれくらい寒いのだろうと、朝、起きるのが楽しみな季節です。 ======================== 2007年12月6日 #260 ●完全な暗闇 瀬戸内海の小さな島:直島に行ってきました。 ここの島は、全体的に「アート」です。 古い民家を現代アートのデザイナーたちに開放する「家プロジェクト」や、 海辺に3メートルほどの巨大南瓜をはじめとする様々なオブジェ。 そして、地上には殆ど何も建造部分を持たない、 そのほぼ全てが地中に埋まっているという地中美術館もあります。 《ここです》http://www.naoshima-is.co.jp/ また、前述の「家プロジェクト」には、 完全な暗闇を体験できるという家アートもありました。 完全な暗闇、というものは初めてでした。 手を顔の前にかざしても、それが全く見えません。 自分が「感覚だけの何か」になってしまったような不思議なものでした。 これを手がけたジェームズ・タレル氏の作品が、 日本にはもう1箇所、東北にあるそうです。近いうちに、と思っています。 ======================== 2007年12月13日 #261 ●SFの「F」 このごろ、ヴォネガットさんを中心にSFを読んでいます。 「ハヤカワSF文庫」などを読んでいると意外と年上の方から 「懐かしいねえ」といったリアクションがあってびっくりです。 そうです、古いのを読んでいるからです。 SFと呼ばれるジャンルが生まれて数十年経ちました。 SFとは、サイエンス・フィクション。 ロボットが家事をしてくれたり、車が空を飛んだり、 時間を自由に行き来できたり、宇宙人と暮らしたり。 中には現在、近いところまで迫っているものもありますが、 例えば半世紀前に書かれたものであっても、SFは未だにフィクションのまま。 でも、突飛とも言える未来の形を、皮肉をこめて考え抜いた人たちは、 実はその時々の「現在」をきちんと見つめつつも愛し、 それに続く未来を温かく懸念してくれていた人たちだろうと思うのです。 こうであればいい、というような夢に満ちた奇想天外で新鮮な未来の形を 思い描いている、或いは思い描ける人は、今もまだ居るのかなあと思いました。 昔のSFを読んでいると複雑な気持ちになります。 ディテールの進化は及ばずとも、彼らが危惧したトラブルだけは 忠実に再現されているのかもしれないと感じるのです。 いま読んでいるのは、「プレイヤー・ピアノ」という本。 全自動音楽演奏装置が出てくる話です。 老人たちはそれを気味悪がっています。 ======================== 2007年12月20日 #263 ●MOMAストア やっと行ってきました。表参道のMOMAストア。 ニューヨークのMOMA(現代美術館)に行ったことのない私にとって、 そして美術館と同じかそれ以上に美術館のショップが好きな私にとって、 この出店はとても嬉しいニュース。 言うなれば「アートっぽい雑貨屋さん」ですが、 そこはさすがに美術館直営のお店だけあって、 人の多さだけを除けばちょっとした美術館みたいでした。 先月の四国:直島に続き、美術的なものを実際に見る機会が このところ、ぽつぽつと続いています。 そういえば、私が行ったこの島の話を友人にすると、 偶然にも最近行ったという人がちらほら居ります。びっくりです。遠いのに。 アート、と呼ばれるものは、どこからがそうでどこからがそうじゃないのか 誰も線を引くことができないのかもしれません。 やったもん勝ちじゃないか、こんなの!と思うことも往々ですが、 それでも、思いついたことを形にする人は尊敬すべきだと思うこの頃です。 ======================== お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/05/31 11:33:57 PM
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