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2007年12月27日
#264 ●オスカー・ピーターソン 今年もあと少しです。 色々な人やものに出会えた一方で、好きだった音楽家の訃報にも接しました。 12月23日に亡くなったオスカー・ピーターソン。 彼のピアノがとても好きで、何度か演奏を聴きに行きました。 私の母も彼が好きなので、一緒にライブに行ったこともありました。 世代を超えてファンがいる、というのは凄いなあと思ったものです。 オスカー・ピーターソンのピアノは、聴いていて楽しくなるから好きです。 私がジャズに触れ始めたころから聴いているミュージシャンの多くは C.パーカーを始め、既に他界している人々。 マイルスのライブを見た!とか、そういう話を年上の方から聞くたびに、 もっと長生きしてくれていたら…とか、私が早く生まれていたら…とか 残念に思うことが多々でした。 なので、オスカー・ピーターソンのような人と生きている時間が重なって、 その姿や演奏に生で触れられたのは、私にとって凄く幸せなことです。 彼が、世を去った音楽仲間に捧げた曲「レクイエム」を聴き返しました。 ======================== 2008年1月10日 #265 ●知りたいことリスト 一年の終わりが近づくと、「今年はこんなことがあった」と思い出します。 一年の始まりには、「今年はこんなことをしよう」と思い立ちます。 思えば2007年も、なんだかんだ言って感動がありました。 大人になってもこういう衝撃を感じられるのは本当にラッキーですね。 ライブで言えばケイ赤城トリオ、ホーコン・コーンスタ、南博トリオ。 本で言えば「タイタンの妖女」や「書きたがる脳」。 映画だと「パフューム」「帰郷」「ミリキタニの猫」。 最近の曲もジャズの世界でスタンダード化しつつあることや、 何十年も前に現代を予言して温かく皮肉った作家がいること、 ハイパーグラフィアというものの実態、ミリキタニさんという画家の存在など 知った事象の数は決して多くはありませんが、そのひとつひとつは、 ずっと忘れないだろうという強い印象のものばかりです。 今年は、落語の世界を探ってみる予定。 でもまずは、明日発売される新しい広辞苑が気になりますね。 私の新年の抱負はいつも、単なる「知りたいことリスト」。 誰かさん風に言うならば、「知らないのだということを知ったことリスト」。 2008年も色々なことを知りたいと思います。 そして、知らなかった!ということを思い知ることができれば幸せです。 それでは、皆さんも良いお年を。 ======================== 2008年1月17日 #267 ●幻の下宿人 新年早々ですが、物凄く落ち込む本を読んでしまいました。 歴代「落ちる本」のベスト1か2かといったところです。 音楽もそう、物語もそうですが、 蓋を開けてみなければ何が起こるかわからないし、 それに対して自分が何を感じるかもわかりません。 本の まとめ買い初め をした中にあったのが、問題の一冊。 『ローラン・トポール / 幻の下宿人』という物語です。 これは、フランスのちょっと古くてサイコな中篇。 一人暮らしの男性がだんだん可哀相な感じになっていくお話です。 一人暮らしの友だちが、もし今からこれを読もうとしていると知ったら、 私はきっと「いやいや、ちょっと待って」と言いに行きます。 ちなみに、この『幻の下宿人』と「落ちる本ランキング」の1位を争うのは 『安部公房 / 方舟さくら丸』というお話。これも苦しくなりました。 フランスの小説家!とか安部公房!とか、 何かのキーワードに惹かれて手当たり次第に探っていくと、 思いもよらないへヴィさにぶち当たってしまうことがあります。 この2冊はどちらとも、 ぐんぐん物語のトーンが暗くなって狭くなって息苦しくなる展開に、 何がしかの解決を求めて勢いよく読みすすめるも下降が続き、 浮上しないまま、ああ、終わってしまった、というもの。 インパクトは凄かったけど、しばらく読み返すことはないでしょう。 お正月ぼけが一気に醒めました。 ======================== 2008年1月24日 #268 ●月は高く、日は長く。 雪が積もって、ほんとうに冬だと思い知ったのも束の間、 あっというまに全部とけてしまいました。 そして今日は風の強い、よく晴れた日でした。 そういえば、日が長くなりましたね。 夜更かしをした帰り道も、月が高くなったと感じます。 少し前までは、気づけば月も西に沈んでいました。 時間が経つのは早いものです。 この冬もしばらくすれば終わって、また春が来て。 そして次の冬が来ては、また春が来て。 四季さえめまぐるしいように感じるこの頃です。 自転や公転さえもが速さを増したような錯覚に陥りそうですが、 そこはひとつ落ち着いて、それぞれを大切にしていけたらと願います。 今日と明日では日の長さも違う。 そう思ってみるだけで、毎日の掛け替えのなさが解るのかもしれません。 ======================== 2008年1月31日 #269 ●青々とサイクル こないだの休日、久しぶりに自転車に乗りました。 で、近所を散策。知らない道はいっぱいあるんですね。 道も知らないければ、そこを充たす独特な空気も知らなかった。 さわさわとした枯芝生が茂った河原はなんだか温かそうで、 曲がった途端に道幅が狭くなる瞬間は陰りの有るスリル。 溶け残った雪も、急な坂道も、見たことない形の家も発見。 古い桜の木の枝先も、こころもち張りつめているようでした。 季節は巡ります。根雪の傍で蕾は膨らみます。 <ここ>オフィスにはこぢんまりしたベランダがあります。 そこには、いくつかの鉢植えが放置されています。 さっきその鉢たちを見たら、意外にも青々と緑が生えていました。 雨が降って、風が吹いて、太陽が照らして。 世話らしい世話はひとつもしていないのに、きちんと力をみなぎらせている。 これは、何だか安心する光景でした。 自然は凄いです。滞りないサイクルをしっかり繰り返していくエネルギー。 来週はもう、暦の上では春になります。 ======================== 2008年2月7日 #270 ●雪のことば イヌイット語には「雪」を表す語彙が多い、という有名なエピソード。 このエピソード自体がどこまで本当なのかよくわかりませんが、 ぱっと聞いたらすんなり納得してしまうお話です。 「サピア=ウォーフの仮説」では、言葉習慣が世界を規定する、といいます。 つまり、母語によって視点なり思考なりが形作られていくと。 一方でチョムスキーさんという学者は、言語本能の存在を語ります。 ユニバーサルな言語の素、みたいなものがあるのだと。 ヴィトゲンシュタインさんは、「私の世界の限界は私の言語の限界だ」という なんともプライベートな割り切り感たっぷりの見解を見せています。 …このままでは「にわとりたまご」な頭の中になってしまうので閑話休題。 ある種のものに対して、それを表現するための言葉を多く持っている。 裏を返して、多くの言葉を持っておきたい表現対象は、と考えるとき 「それ」は自分にとっての大切なものなんだろうと思うのです。 さらに逆に、何かに対して語彙が貧しいときは、 「それ」についての知識や意識が浅いときが往々です。 たとえば、感情をあらわす言葉を思い連ねてみてください。 言葉は、何かを本当に体験しなければ増えないのかもしれませんが、 或いは語彙を増やすことで感情の種類も増えるのかもしれません。 と、雪を見ながら、そして「大学生の半分は月に1冊以下の読書量」という にわかには信じがたいニュースを見ながら考えていました。 ======================== お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/06/09 10:37:54 PM
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