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沖縄の本部港から鹿児島までの船旅は、
奄美などへの経由を経て約24時間かかるのだそうだ。 今朝の8時半に弟を乗せて出港した船は、 たぶん、もう沖縄より鹿児島に近い位置にあるんだろう。 「こっち寄り」だと思ってしまえば俄然、 弟との再会に胸躍らせ始めた自分がいる。 鹿児島から広島までが長いのにね。 彼は高速には乗らず、普通の道を走ってくるという。 その方が、色々な町の景色が見られて面白いと思う。 日本中に、ひいては地球上のありとあらゆる所に 人間が散らばっていて、それぞれの生活を営んでいる。 何度思いを巡らせてみても、こればかりは想像の仕様が無い。 ============================ 自動車を運転するとなったら。 ヒールの靴は履けない。 ブーツも難しい。 ボトムスも限られる。 髪も結わえないと鬱陶しい。 だけれど頭頂お団子も視界を遮る。 爪も長いと邪魔そうだし、 あまりぴかぴかとするのも気が散りそうだ。 色々、気を遣うことがありそうだな、慣れるまで。 =========================== 買ったまま読んでいなかった本の山から一冊を読了。 トルストイ『光あるうち光の中を歩め』。 ローマ帝国を舞台にした中編で、テーマはキリスト教。 非キリスト教徒である主人公の男が、 敬虔なキリスト教徒である同い年の友に その信仰と生活の「良さ」をとくとくと説かれる。 入信しようかしまいか迷い続ける主人公の葛藤。 最後まできちんと読んだけれども、やはり宗教というものが判らない。 もっと判らないのが、この本の翻訳にまつわること。 文庫の表紙には元の訳者の名しか出ていないのだが、 あとがきには「時代も変わったので私が抜本的に手を加えました」と 元の訳者の息子なる人物が説明を寄せている。 道理で楽々と読み易かったわけだ。 読み易さは良いとしても、いまいち腑に落ちない。 改訳したのならばその旨を表紙に明記すべきではないか? ロシア語の原書は読めないので手も足も出せないのはこちらだが、 でも何だか、どこか、ちょっと騙されたような気分になってしまった。 消化不良である。 続いての未読本山崩しの対象は、 タイトルのせいか高確率で部屋の中でも行方不明になるが故に ちょこちょこと読み進めては読み切れないまま読み返し続ける ボルヘス『砂の本』。 それが済んだら『ブリキの太鼓』か『長距離走者の孤独』か。 いずれにせよ、昔の人は凄いなと感心しきりだ。 今の日本の小説が面白く感じられなくて、 昔の日本の小説の気になる人も大方読んでしまったら、 こうして海外の「ちょっと昔」に還るのは致し方なきこと。 そうは言いつつ、そろそろ明日にでも露伴の『みれん』を読みたいと思う。 やはり、私は本を読んでいないとどんどん馬鹿になるらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/03/02 11:12:20 PM
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