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カテゴリ:ざっかん
用あって夕方、近くのホームセンターに。 家電売り場のTVでは選挙特番が映ってて、 そこからちょっと離れた場所の売り場では BGMに 『木綿のハンカチーフ』 が・・・ 懐かしの太田裕美さんバージョンではなく、 スピッツの草野マサムネさんバージョンで。 いやややー、草野さんの声、イイですよね。 んもう 『楓』 なんて何回聴いても泣くしっ! 好きです、ゆみたろは♪ ぽっ (はぁと) ・・・でなくって、 太田さんがこの曲を歌ってたのは70年代。 当時まだ物心つかないゆみたろには、残念 ながらリアルタイムなその姿の記憶がなく・・・ だけどやっぱり名曲なんですね、繰り返し 繰り返し口ずさまれて来た歌なのでしょう、 聴いた憶えもないのに知っていましたから。 中学生ぐらいになって (物心ついて?笑;) この歌をフルコーラス丸っと聴いたときは 『コイツ~、何てひでぇ男だっ!!』 っと 故郷でひとり、恋人を待ちわびる女の子の 気持ちにリンクして哀しがったり怒ったり、 とにかく涙しましたねぇ~~。 えぇそりゃバリバリ潔癖な思春期真っ只中 でしたもん。 (これと類似したものに、チューリップの 『虹とスニーカーの頃』 があります。笑 “じゃぁ最初から男がワガママ言わなきゃ イイんじゃん!” と突っ込みたくなった) ハナシ変わって。 児童文学作家の松谷みよ子さんの作品に 『モモちゃん』 シリーズというのがあります。 このモモちゃん、連載開始当初は確か2~3歳 だったと思うのですが、そののち、妹も出来て 最終話では小学校の高学年かな? 妹のアカネ ちゃんが小学校に入学するので。 ほのぼのと、このモモちゃんの小さな手の平や 瞳を通して、世界を新鮮に描いていたのですが、 お話の後半に差し掛かるころに、モモちゃんと アカネちゃんのパパとママが離婚するんですね。 その時パパとママのすれ違ってしまう生き方を、 子供が読み手という前提の上、書かれた文章は “ママは育つ木。パパは歩く木。ママはパパの 宿木にはなれない・・・” ってなものでした。 何年か前に、この部分を当時担任していた年長の 子供たちに読み聞かせている時には唸ってしまい ましたねー。 子供にとって 『両親の離婚』 や 『身近な人の死』 って、理解できなくても避けては通れない現実で、 そしてその “現実” にいちばん影響を受けるのは 環境や時期を選べない子供なワケでして。 ウチの子達はこの物語を、自身のまだ少ない経験と 情報を頼りに、どう受け止めてどう消化して行くん だろう?と、担任の老婆心?ながら思ったのです。 (手っ取り早い解説: モモちゃん達のパパはママ ではない女性と付き合い、それが原因で離婚して、 そしてママは昭和のシングルマザーになるのです。 それまでほのぼのとファンタジックだった物語は、 そこから一気に重いテーマを盛り込んで行きます) とまぁ、前置き (!?;) というか 説明 (!?;) が 長くなってしまいましたが、 本日ゆみたろが何を言いたいかと言えば、 ゆみたろは、この 『木綿のハンカチーフ』 と 『モモ ちゃん』 のパパママの状況は酷似してるよなぁーと・・・ “変わるもの” と “変わらぬもの” が、一瞬だけ 触れ合った (ような気がした) 悲劇というか、必然と いうか・・・ コトの善悪を決めたり裁いたりするような表面的な 汲み方では味気ないしその必要もないものかな、と。 昔は、猛然と敢然と 『木綿のー』 の男の人は、身勝手で愚かで薄情だと 思っていたゆみたろで・・・ 『モモちゃん』 のパパも自分に甘くて大人気なくて どーしよーもない父親だと思っていたゆみたろで・・・ でも、そこから幾許かの時間がたった今現在は、 それとはまた違う感情や洞察や視点が、自分の中に あるなあ~と実感するのですね。 潔癖だった自分を可愛らしい奴と笑い懐かしみつつ、 “時間を経るのを待たなければ味わえないもの” が 世の中には結構 溢れているものなんだな、とも思い、 歳を取るのも悪くない・・・なんてババムサイ感慨にも 浸ったりしてしまう、ってことですね (笑) えー あー お後がよろしいようで (笑;) それにしても誰がこんな長文読むんだぁ?; 自分でもイヤだし~ (汗;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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