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Kさんについての日記、
みなさんお返事いただいてありがとうございます。 Kさんは、本当によい方です。 私を心配して、「甘えていいよ」といってくれます。 でも、どこまで甘えていいのか・・・ 私は正直怖いのです。 いつか、Kさんを傷つけてしまい、 私自身も傷ついてしまいそうで・・・ Kさんは、そういう私の話を聞いても、 「遠慮しないで、どこまでも甘えていいよ」 といってくれます。 でも、本当に、本当に、それが怖いのです。 たぶん、「甘える」ということが、 Kさんが思う以上に、 私は貪欲なのです。 Kさんは、「甘えること」に恐れを抱く私に、 電話でいつも「包まれている感覚」をくれます。 そして、「何でも言っていいよ。甘えていいよ。」といってくれます。 でも、油断して甘えてしまうと、 やっぱり自分が傷つくのです。 だって、「甘えていい」と言われても、 やっぱりそれには限度があるからです。 どこかで、一線を引いている。 そのことを感じたとき、 自分がひどく落ち込むのではないか・・・ そう思っていました。 そして、さっそく 傷ついてしまいました。 というか、傷ついたのか、正直わかりません。 ただ、メールをもらって、 それを読んだとき、 とてつもない悲しさと寂しさがこみ上げてきて、 自分でもどうしていいのか、わからないのです。 私にとって、 人のぬくもりを感じることは、とても大切です。 それは、感覚としてだけではなく、 直接的な接触であってもそうです。 自分の気持ちに耳を傾けると、 ひどく人のぬくもりを求めている、 その声に気がつきます。 Kさんは、私にその声に素直になるように、といいます。 でも、その声に気づいても、 そのぬくもりを提供してくれる人がいなければ、 ただ、自分の寂しさと向き合うだけです。 Kさんは、私の心の声について 「聞こえてきて良かったね」と言います。 でも、そのぬくもりを提供してくれるわけではない。 メールからは、そんな雰囲気が読み取れて、 とても、とても悲しく、さびしい思いをしています。 Kさんとは、まったく対等ではなく、 やはり、どこか一線を引かれている。 そのことを実感したようで、 本当に、悲しいです。 本当に、贅沢な悩みですね。 怒られてしまいます。 でも、一生懸命伝えた、 一番「甘えたい」というところを、 さらっと流されてしまったことに、 すくなからず動揺しているのです。 声が聞こえても、 それをかなえる術がない。 そのことに、 気づいたほうが良かったのか、 気がつかないほうがよかったのか・・・ わかりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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