ゆらゆら茶餐廳(YURAYURA CAFE)

2012/06/20(水)12:25

石巻でボランティア5

ボランティア(19)

            乗り継ぎの上海で見たJAL、操縦席に「がんばろう日本」の文字私はある長期で参加されている、関東の女性とテントを共用して使わせて頂きました。彼女はテントで寝るなんて生まれて初めて,キャンプにすら行った事ないというインドアな毎日だったそうで、初めは2~3日のつもりで、それでも持つのか自分で 不安だったそうです。今は無くてはならない重要スタッフに。私のように勢いだけの人でなく、じわじわと暖かく、息長く燃えているような、本当にやさしい心を持った方でした。 私にもとてもよくして下さったので、順調に私の活動ができました!!彼女はヒーラー的な部分も持たれた方で、私はそういう人に是非聞いてみたかった 「被災地では、色んなネガティブなものを受け取ってしまい、すごくしんどいのでは?」という事を、ぶしつけながら聞いてみた。すると、返事は予想と反して   「全然!」「すごいの、ものすごい‘ありがとう!'っていう感謝の念がすごくて、守られてる!と いう感じで、ああ、私大丈夫だって思えた。」聞いて涙が出てきた。。。これは、人によっては、勿論色んな考えがあるので、何の 根拠があって??と思う人も多いと思う。でも、私は、信じたいし、すーっと自然に受け取られた。彼女から、この言葉を聞けた だけでも、ここに来てよかったと思った。自分は亡くなってしまったのに、やって来た我々に、逆恨みや無念でなく、感謝を している日本人の心に泣けた。(何を。。と思う方、は、スルーして下さい、それはそれで勿論、理解できます。)彼女の心配りが行き届いたキレイなテントのお陰で毎晩熟睡でき、最終日まで 気持ちよくお手伝いができました、本当にありがとう、Kさん。そして、最終日、午前中の散歩を手伝ってからレギュラーメンバーのH君が、車で 途中まで送ってくれたので単線の代行バスを短縮する事ができた。で、仙台までの代行バスに乗り、着いてから4日ぶりに漫喫で、ネットをし、シャワーを 使った。それから大阪までの夜行バスに乗る前にお土産を買おうと(経済支援!)仙台駅で 笹かまぼこを買うと、店員のおばさんが「今日は店の復帰の第1日目なんで1つ オマケします」と言ったので「じゃあ、もう1つもらいます」と、追加。 おばさんは、ジャージに寝袋の私を見て「もしかして、ボランティアの方?」と 言われたので「そうです」というと「ありがとうございます!」と頭を下げられ 「うちも来てもらいました、すっごく助かりました!被害に遭ったんですけど 落ち込んでてもしょうがないし、がんばろうと思って、出て来ました!」ととても いい笑顔で言われ、また涙が出てきそうになった(私はすぐ泣く)必死で堪えて「私、香港から来たんですけど、香港人もすごく日本を支援してくれてるんです がんばって下さい」とか細い声で何とか言った。被災されたおばさんの笑顔に逆に私が元気をもらってしまった。それから晩御飯を食べようと、1人で入れそうな食堂を探しました、できれば、 仙台名物の牛タンとか食べたいなー、と思ったけど、居酒屋(私は酒が飲めない)か ファーストフードばっかりで、やっと一軒中華料理屋を見つけた。日本でも中華はな~とも思ったけど、他にチョイスがなかったので、まあいいかと。入り口を一目見て「あ、中国人がやってるんやろうな」と思う装飾でした。ご夫婦2人で切り盛りしてるようで、忙しそうでした。お勘定の時に、奥さんに「中国の方ですよね?」と中国語で聞いたら「そうです!中国語できるんですか?!」とまあ、一通りのいつものやり取りの後、「たくさん中国人が帰っているのに、残っていて怖くないの?」と、聞いたら「怖くないよ!うちは親戚一同、みんな残ってる!」と力強く言われました、嬉しそうに「お互いがんばろうね」と言い合いながらお店が混んでて忙しいのに、私の寝袋付きバッグをお店の外まで運んでくれてご主人も、厨房から料理しながら半分身を乗り出して、お辞儀してくれました。疲れていたけど、これまた元気になって夜行バスに乗り込み13時間かかって大阪に帰って来ました。

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