チェルヴェテリのネクロポリ
笠松の並木が続くネクロポリ通りを行くともう左右にトウムロが見えてくる。カエレと言われたエトルリア人のネクロポリは彼らの死者の町だった。紀元前7世紀に地中海で最も勢力があった町だっただけに、ネクロポリも大きい。400ヘクタールあったという。現在公開されているのは、ほんの一部の10ヘクタールになる。謎の民族と言われるエトルリア人の街並みや家の様子がネクロポリから理解できるということで、ここは重要なスポット。ネクロポリの中でも一番大きなところだそう。紀元前9世紀くらいには、死者の灰をいれたツボを埋めていた。紀元前7世紀くらいから、日本の古墳にも似たトウムロ(墓)が作られるようになる。ネクロポリは、彼らの町同様にトウッフォという凝灰岩の丘上に作られている。その岩を掘って、地上部分には岩のブロックが積まれたり、土が積まれたりしてトウムロができる。内部は、彼らの家内部に似た、いくつもの小さな部屋からなっており、壁に沿ってベッドが作られている。彼らの建築技術はのちにローマ人に継がれることになる。ここから発見された発掘品は大部分世界の重要な博物館に行ってしまうのだが、チェルヴェテリの旧市街にある市立博物館にも死者たちが使っていた日常品や装身具が一部飾られており、彼らが遠くギリシャなどとも交易があり、また豊かな暮らしをしていたことが分かる。ネクロポリ内部は、緑が多く、小鳥がさえずり、まるでのどかな森の中にいるような感じ。ヴィア デイ インフェリと言わる冥界の道は、ネクロポリのメインストリート。当時の車輪跡が残り、にぎやかだった町がうかがえる。バンデタッチアのネクロポリNecropoli di Banditacciapiazza della Necropoli, Cerveteri, ROMAtel.0699400016ユーロ8時半から日没の一時間前まで。月曜日休みローマからピサ或はチヴィタヴェッキア行の電車に乗り、ラデイスポリで降りる。タクシーで10・15分くらい。