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悪夢のようなあの日からはや1週間。
昨日は14:46に合わせしっかりと黙祷をささげた。 おの震災により、沢山の方々、何もかもが変わってしまった。震災で被害にあわれた方にとってはきっと創造を絶する1週間だったことだろう。水は出ない、物資はない、寒い、ガソリン、灯油も無い、電気もない、ガスもない。そのような状況の中で果たして私は生きていくことができるのだろうか。 先週のあの日、退職を控えた職場のテレビで見たあの光景。今でも仙台空港や名取川が大きな津波にのまれていくあの光景が目から離れない。 正直、終わった…と思った。 その日研修会で鹿児島に行く中で頭からずっと震災のことが離れなかった。正直シンポジウムで自分が何を話したのかわからないくらいに頭は震災でいっぱいいっぱいだった。 ただ、そんな中沢山の方々から、心配や安否確認の連絡を頂き、中にはどこから俺が宮城に行くことを聞いたんだろうというくらい久々に連絡をくれた友人もいて、本当に自分は沢山の方々に気にかけていただき、そして生かされていることを痛く実感した。 本当に自分の存在というのは相手の存在あってのものだと感じました。自分ひとりでは自分の存在は感じることができないし、そこに相手がいるからこそ、自分というものがある。 そんななか、少しずつ正気を取り戻し、退職を迎え今週は色んなことを考えるようになった。 やはり、頭は震災のことでいっぱいで、ほかの事は何も手に付かないといった感じであるが、いつもテレビで情報を見ながら、色んなことを考えている。 今の自分にできることは何だろう。この震災がこのタイミングで引き起こされた事には自分にとってどんな意味があるのだろう。と考えながらできることを模索している。 支援物資を役所に持っていったり、義捐金をしたりと当たり前と思われることはしているもののなんかまだもやもやしているものがある。 恐らくこれは外から見たときにできることをやってるからであってやはり、中に入ってみたときにできること、思うことは違うものがあるのだろう。その部分に恐らくモヤモヤしているのであろう。 震災から1週間が建ち、テレビの画面を通して必死に生きよう、助け合おうとしている東北の被災者の方々に胸が打たれる。困ったとき苦しいときはみんなで助け合って行こうというのが東北の方々の土地柄のような気がする。テレビの画面を通して私は我が我がという自己中心的な発言をしている東北の被災者の方々は見たことが無い。 それに対してこんなことを行っていいのかはわからないが、東電、そして関東圏の方々の動きには疑問を感じる部分がある。東電は自分たちの電気を東北電力管轄の福島の土地で作り、その原発が危機に陥ると人の土俵で相撲を取っておきながら、自分を守ることに必死である。そしてそれに後を押されたかのように関東圏では計画停電計画停電と騒ぎ、電池、食料を買い貯めし、それがさらに悪循環を起こし、沢山の関東圏の方々が我が我が行動、発言をしているところがメディアを通して目につく。たかが3時間~4時間の停電に人口最密集地区の関東の人々が右往左往するから日本自体が右往左往している。 逆に震災被害が大きかった東北圏方々はどうだろうか?沢山の被害がある中、東北電力も徐々に復旧を見せ、震災被害の少ない日本海側の地域には計画停電の予定もあった。しかし、被害の少なかった日本海側の住民がみんなで助け合おうと節電を行ったことで東北電力管轄の地域の計画停電は最後まで行われない見込みだそうだ。 今必要とされていることは個人個人よりも相手相手の気持ちではないでしょうか?まさにRYUHEI意識の『どうぞどうぞ!』でしょ! 来週金曜には私も仙台入りする予定です。今私の家には水道もガスもありません。そんな過酷な状況の中で生活していけるか凄く不安でもありますが、それ以上に過酷な生活を強いられている方も沢山います。 仙台にはまだ仲間がいなくて凄く不安ですが、今ころ助け合いの気持ちで、どうぞどうぞ。の意識で頑張らなくちゃいけませんの。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 19, 2011 11:01:58 AM
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