思い出したこと。
あさ、部屋を片付けていたら、 インドのお金が出てきた。 それを見たとたん、 インドの思い出がフラッシュバックした。。。 そしてお金の大切さを思い出した。 あっちでは、一日1000円あれば、とても優雅な暮らしができる。(インドの環境で) このお札、20ルピー(約60円) 日本での価値は、チロルチョコ三つだけど、 インドでは、ランチが食べられる。 日本では一日働いたら(日雇い)約8000円稼げるが、 インドでは、一日働いて60円もらえればいいほうだ。(全体的に見て) インド人の貧富の差は激しい。 それは想像を絶するものだ。 生まれたときに、自分がこの先どのようにいきなければいけないかが、 もうきまっていることがほとんどだ。。。 路上生活をしているとこに生まれた赤ちゃんは、 子供になる前に何割かの赤ちゃんは、餓死や病気でなくなる。 お金がなく、十分な栄養もとれず、不衛生のなかでいきぬいて、やっと子供になると、、 観光客に物乞いをはじめる。 仕事がなく、 そうすることでしか、 生きていけないようにも見えた。 風邪で死ぬ赤ちゃんもいれば、 転んで、傷口が化膿して、 熱が出てなくなる子もいる。 想像できないかも知らないが、 そういう現実がある。 お金がないから病院にいけないんだ。 自分に置き換えてみて、 もし、親知らずが膿んで、痛いとする。 歯医者に行けば、なおるよね。 でも、 いくことが出来なかったら、 そのままほうっておいたらどうなるか、 考えただけで恐い。 中耳炎もそう。 考えただけでこわい。 日本でいう、 すこし、つらいことがおきただけで、 処置ができないと、 人間は死んでいくんだ。 お金があるってことは、 とても幸せなことなんだ。 最低限あれば、生きていける。 ある人が、「愛はお金でかえる」っていっていた。 ふつうに考えると、 おかしいし、間違っているとおもえる。 でも、 視点をかえて、 貧しいインド人の親子を想像してみる。 お金がなくて、 子供を助けることが出来なくて、 目の前で死んでしまった場合、 その母親のつらさは想像できないくらい大きなものだろう。 母親はもう、 子供に愛を上げることができないんだ。 でも、 お金があって、 その子供を助けることができたら、 命と同時に、 愛を手に入れることができるよね。 インドのバナーラスというところは、 ガンガー(ガンジス川)で有名だ。 そのまわりにいる物乞いのおばあちゃん一部は、 自分が死んだときに、 自分の体を焼くための薪をかうための お金を物乞いでためている。 これを聞いたときは、、 衝撃が走った。 生きるために物乞いをし、 死ぬための物乞いをする。 この人達は、 自分の亡骸を、 ガンガーに流されることが、 一番しあわせなことだという。 この聖なる川で、 死ねることが一番の幸せだという。。。 日本はとても幸せな国だ。 とても裕福な国だ。 これも今のおじいちゃん、おばあちゃんががんばってくれたおかげで、 いまの日本がある。 戦後の焼け野原を、 ここまでの都会にしたのは、 いまの年配の方なんだ。 尊敬して、当然。 邪魔な扱いなんて、 絶対にしてはいけない。 インドの旅が、面白いというのは、 冒険ができる部分。 あとは、出会いとか。 いままで見たこともない風景や、 人の温かさ。 それ以外は、 面白くもなんともない。 目に飛び込んできた事実があまりにも過酷過ぎるから。 そして、 「かわいそう」とか「なんとかしてあげたい、、、」 と思うだけで、なんにもできない無力感だけだ。 そんな環境にいるインド人が、 日本人をみたら、お金を騙し取りたくなる気持ちはものすごくわかる。 だますという行為は、 やっちゃあいけないことだけど、 わかる気がする。 「観光でうかれているひとはいいね。おれらは大変なんだ」 とインド人が思ってもしょうがないよね。 その裏の気持ちが、 日本に帰ってきてから気づく。 おれは退職したら、もう一度インドにいく。 絶対にいく。 そして、同じ陸路をまわるんだ。 そして、 自分が一生でどれだけ、 人間力が上がったかを、 確かめるんだ。 物事を冷静にみると、 すべてはつながっていることに、 かえってきて、 気づいた。 最後まで読んでくださった方。 有難うございます。