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あそびはこどもの仕事やで!:遊び学ブログ

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2004.10.04
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カテゴリ:あそび一般
 「集団遊び」という言葉を、私もこれまでもにたびたび使用してきたが、意外とその定義がいろいろあり、曖昧な事に気付く。少しだけ「集団遊び」をネット検索してもその事はわかる。

 まず、一人遊びをその対極として「集団遊び」を位置づける考えが一般的だ。それでも、二人からを集団とするか数人以上を集団とするかでは意見が分かれている様に思われる。

 つぎに、保育所や学童保育所での実践報告・活動紹介などで見受ける考え方が、一方の極を「自由遊び」に置いた「集団遊び」の位置付けだ。これは、どちらかと言えば集団全部による遊びの「みんな遊び」と置き換えても良い分類法だ。

 さらに、少数ではあるが「屋内遊び」に対して戸外の遊び(一人あそびではないもの)を「集団遊び」と定義している意見もある。一般的にも「集団遊び」と言えば、鬼ごっこなどの戸外でのあそびのイメージがあるようだ。

 このような状況をふまえ、私なりの「集団遊び」の定義を以下に簡単に記す。なお、この日記(エッセイ)を含め、私の各サイトでエッセイ・私論などでも基本的に、この定義に依拠している。

 「『集団遊び』とは、二人以上の構成員により成り立っている遊びであり、対極の「一人遊び」とは質的な違いがある遊び。」が私の考えている定義になる。

 それは、「一人遊び」と最低限度の「集団遊び」である「二人遊び」とは、ただ単に量的違いだけではなく質的な違いがあることを意味している。

 「二人遊び」ではあっても、「一人遊び」には存在し得ない他者が、その遊びそのものに存在する事だ。すなわち、「集団遊び」とは、その中で直接の人間関係が生まれ進行する遊び、とも言えるのだ。

 遊びが人間の極めて自由な活動だと言われる。しかし、「集団遊び」においては、ひとつの遊びの始まりから終わりまで、個々の参加者は、参加と離脱以外に完全には自由にさせてもらえない。それぞれにとって、自由を阻む他者が、遊びそのものに存在する遊びなのだ。

 そして、そうした「集団遊び」の特質は集団の人数が二人から何人に変わろうと、それは程度の差、すなわち量的な違いしか現れ得ないのだ。


「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。

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W32.Klez     本日0通 通算0通(今月)
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W32.Mota     本日0通 通算0通(今月)
W32.Mydoom    本日0通 通算0通(今月)
W32.Beagle 本日0通 通算0通(今月)
(送られてきたウィルスメールは今月合計80通)
ちなみに、アンチウィルスソフトは、
このシリーズを使っています。

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最終更新日  2004.10.05 13:44:00
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