カテゴリ:教育一般
このブログでは、度々「子育て」や「教育」における大事な選択について書いてきたが、「教育再生会議」をめぐる議論の中にも、選択にまつわる議論がある。それは、「ゆとり教育」か「学力重視」かという議論だ。主に、「ゆとり教育」の見直しから「学力重視」への転換を説く意見がにわかに増えてきている。「ゆとり教育」の本質的な総括も十分でないまま、この間のいろんな調査報告が示す「学力低下」を「ゆとり教育」にだけ罪をきせようとする議論もある。また、「ゆとり教育」で削られた授業時間や教科内容を増やすことで「学力向上」を図ろうとする「学力重視」の意見もある。
これらの議論や意見は、「ゆとり」と「学力」を対立的に捉える考え方で、教育の方法における「ゆとり教育」か「学力重視」かの選択をせまる意見でもある。はたして、「ゆとり」と「学力」は対立するものだろうか。「ゆとり教育」か「学力重視」かの選択は必要なのだろうか。 その答えは「否」だ。「ゆとり」と「学力」は共存しうるだけでなく、「学力の向上」を保障するには「ゆとり」が欠かせないと思っている。特に、義務教育期である小中学生にとっては「ゆとり」ある生活により豊かな「学力」育まれると思っている。そして、その「ゆとり」とも勉強時間が過密でないことはもちろんのこと、旺盛な「あそび」ができる「ゆとり」でもある。 このことについての詳細な私見は、いづれ掲載させていただくこととして、幾つかの点について簡単に触れておく。「ゆとり確保」と「学力重視」は、授業時間や授業内容の長短や多少だけの問題ではなく、教科内容の再吟味とその学習時期の見直しを重点にした検討こそが可能にする、その検討は言うまでもないが、こどもたちのおかれている状況、特に学校生活以外での生活のあり方を踏まえることが大切だ。 「学習(勉強)時間」が過密であるかそうでないかは、単に学校での「授業時間」の長短の問題ではなく、塾・習い事・宿題(学校・塾)との関係で総体的に捉える必要がある。また、こどもたちの学習意欲や学習の楽しさによっては、同じ学習時間であっても、過密に感じるかそうでないかが左右されることも考慮すべきだろう。 以上、とりあえず現時点での思いつきを書いてみた。「教育再生会議」での議論も、おそらくこれらの点にも触れた議論がなされているかとは思うが、少なくともその議論の結果として提起される内容には、それらの点が考慮されているとは、少なくとも私には見えてこないのだ。 エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。 遊邑エッセイ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.20 11:43:46
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