バス停地名学のすすめ

2007/11/04(日)15:36

第126回 【坂道編(2)】 一口坂(ひとくちざか) 後編

千代田区(22)

(前回からのつづき) 疱瘡を意味する「ヘモ」が「イモ」に転化し、「アライ」は「洗い」、すなわち「イモアライ」は疱瘡を治すの意で、もとは大田道灌が疱瘡神として知られた山城国(現京都府)一口(いもあらい)の里の社を江戸城内に勧請したことが、一口稲荷の始まりと伝えられ、家康入府の際に神田へ移されたものといいます。九段の一口坂については、その由来が定かではありませんが、こちらも江戸城に近い立地であることを考えると、道灌ゆかりの一口稲荷が両方の一口坂に関係しているのかもしれません。 肝心な坂道の話が後回しになってしまいましたが、バス停前の交差点から真っ直ぐに北へ下り、外堀の新見附橋へ至る坂が一口坂です。現在は坂そのものにはこれといって特色もないですが、坂沿いには一口坂の名を冠したビルや店舗が並び、音楽や映像関係者にはお馴染みの一口坂スタジオも、坂の中腹に面しています。 坂を下りきると、右手の靖国神社裏手を下ってくる富士見坂と出会います。坂上には現在も富士見の町名がありますが、都内随所にある富士を望んだ高台のひとつで、他の富士見と同様、ここも富士を見晴らす眺望はとうの昔に失われています。 坂下に続くのは外堀を渡る新見附橋ですが、よく見ると橋状なのはJRの線路を跨ぐ部分のみで、外堀部分は築堤になっており、左右の堀の水位を調整するような役目を担っているように見受けられます。人通りもほとんどなく、数ある外堀の橋の中では、人気、知名度ともに低い橋かもしれません。 新見附橋手前からは、土手上に遊歩道の続く外濠公園に入ることができます。入口には、コンクリートに「東京市外濠公園」と右から左へ刻まれた表示が現在も健在です。木立の間を縫うように歩き進むと、市ヶ谷駅まではあっという間です。 人気blogランキングへ

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