バス停地名学のすすめ

2008/03/15(土)21:47

第177回 【梅70編(11)】 芝久保(しばくぼ) 前編

西東京市(10)

バス停データ ◆所在地:西東京市 ◆路線:都営バス[梅70]系統他 みなさん、こんにちは。 旧柳沢宿の西はずれにあたる橋場バス停を出ると、青梅街道の周辺はとたんに武蔵野らしいのどかな雰囲気に包まれます。街道に沿ってファミリーレストランが目立ち始めるのも、住宅密集地を抜け出たことを物語っているといえるでしょう。もともと田無の地名は「田が無い」、すなわち水利の悪い土地柄を指すといいますが、車窓を流れる平坦で広々とした地勢を眺めていると、武蔵野台地のほぼ中心にあるこの地が、歴史上いかに水で苦労してきたかがぼんやりと見えてくるような気がします。 しばらく走ると、交差点から右斜め後方に分かれていく細い通りがあります。これは今も鎌倉街道の名で呼ばれる通りで、青梅街道が開かれる以前は、府中方面から保谷へ抜けたこの道筋が田無付近の主要交通路でもあり、田無では早くから開けていた谷戸地区(現西東京市谷戸町)もこの道筋に沿っています。地図を見ると、既に道筋は分断され、ところどころに鎌倉街道の名と共に生活道路として残るのみとなっています。 バスはこまめにバス停に止まりながら、西へと進みます。気がつけば空席がひと通り埋まるほどの混雑具合です。外を見ると、右手にこのあたりのランドマークでもある田無タワーがちらちら見え隠れしていますが、それを後方にやり過ごすと、間もなく芝久保バス停に到着です。 芝久保の地名は、芝の生い茂った窪地といった意味でしょうか。古くは芝窪と書く文献もあるようです。現在は芝久保町1~5丁目となっていますが、明治期の地図では北芝久保と南芝久保に分かれていたようなので、二つ手前にあった北芝久保バス停は、その頃の地名の名残といえるでしょう。 (次回へつづく) 人気blogランキングへ

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