3000日目
この2つ目のブログを開設して、今日で3000日目になる。そして今日は最愛の奥さんを亡くして、初めての月命日でもある。この1か月、訳の判らないまま、あっという間に過ぎ去った。今は何もかもが鮮明に頭の中にある。でも日々、色んな事があり、段々と記憶が薄れていく。何かに書き留めておこうと、日記としてスマホに書き込んでいたが、記憶媒体として少し不安もあり、自分のブログも少し使ってみる。1か月前の2013年2月19日、午後10時半に入院先の病室のベットの横に僕は居た。ベットでは眠っている奥さんがいた。その1時間前までは病気の為に、痛みで苦しんでいたが、痛みを抑える点滴が効いてきたのか眠り始めた。寝顔を見ていると左目に涙。しばらくしてナースステーションから看護師さんが慌ててやって来た。心電図が反応していないとの事だった。当直の先生もやって来た。最愛の奥さんは、静かに眠る様に亡くなった。はじめは信じられなかった。本当に眠っている様にしか、見えなかった。先生や看護師さんに何度も尋ねた。「本当に、亡くなっているんですか?」今にも目を覚まして起きて来そうな感じだった。辛かった。信じたくなかった。悲しかった。病気は8年前に発症した。長い闘病生活だった。去年の今頃はとても調子良く、主治医の先生もこのまま完治するのではないかと言うほど良かった。僕達もそう思ったし、体調から見て確信するほどだった。それまで辛い日々が続いていただけに、長い闘いの日々が報われる日が近いと信じて疑わなかった。でも去年の10月過ぎてから、検査の数値が変動し始めた。今までもそんな事があったので、辛くて大変だが、乗り越えられると二人で信じてた。でも今回は中々良くはならない。色んな事を勉強し、色んな事をした。数百万円もの高額治療も受けた。2月19日の昼に主治医に呼ばれた。「春を超えるのは、難しいかもしれません。」覚悟をしていたが、聞きたくない宣告を受けた。体が震えた。泣きたい、叫びたい。色んな感情がこみ上げたが、必死で堪えた。今、自分に出来る事はなんだろう。春までに出来る事はなんだろう。出来る事は、何だってしようと思った。涙が溢れ出すのを堪えて、病室に戻った。いつも通り笑顔で奥さんと話した。痛みが辛そうだった。少しでも良くなる様に何が出来るだろう。頭の中は奥さんの事でいっぱいだった。そしてその夜に、別れの時が急にやってきた。あっという間だった。奥さんが眠ってると思い、手を握ったり、体を撫でてあげたり。あの時の左目の涙は、さよならになってしまう事を伝えたかったんだね。心が痛かった。奥さんは自分にとって全てだった。中学校の同級生の間柄。自分の真の初恋の人であり、自分の全てにおいて、究極の理想の女性だった。奥さんが自分の生き甲斐だった。自分が生きる理由、生きる原動力が奥さんだった。奥さんの為だけに今まで生きてきた。それ以外、何も必要が無かった。自分が仕事をする理由は、愛する奥さんが食べたい物が食べれて、着たい服が買えて、行きたい場所に旅に行ける様にを叶える為に働いていた。当たり前の事を当たり前にやっていた。僕は何も要らなかった。お金は全て奥さんに渡した。ただ一緒に居られるだけで幸せだった。トイレ以外は24時間一緒に過ごした。奥さんの笑顔を見ていられるだけで幸せだった。奥さんを見ているだけで幸せだった。このまま普通に年を重ね、じいさん、ばあさんになってもいつも通り、手を繋いで歩いていられれば、それで幸せだった。看護師さんが、奥さんの体を綺麗にしてくれるのを横で見ていた。とても離れる気にはなれなかった。仕度が済んでベットに横たわる奥さんの傍にずっといた。急変を伝えたので、奥さんのお母さんと妹さんが駆け付けた。みんな泣いた。夕方まで普通にしていたのに・・・。お母さんが泣きながら言った。「今にも起きて来そうやん。」本当にまだ生きているみたいだった。僕は不意に病室の窓の外に目をやった。すると夜空に、ビックリする様な大きな流れ星が流れるのを見た。一瞬の出来事だが、見た事もない様な大きな流れ星だった。奥さんが僕に見せた奇跡なのかもしれない。