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3月17日 1830年 - フレデリック・ショパンが独奏会を開き、ピアニストとしてデビュー。 ショパンは1810年3月1日、ポーランドで生まれた。彼が作曲した曲の大半はピアノ独奏曲であり、「ピアノの詩人」と呼ばれることも多い。 第一次世界大戦で独立を勝ち取るまでポーランドはロシアによって支配されていた。フランスなどで生活することの多かったショパンは常に祖国の動向に敏感であり、「革命のエチュード」として知られている作品は、11月蜂起における1831年のロシアによるワルシャワ侵攻にほぼ同くして公表された。 ショパンは肉体的に虚弱ではあったために革命に直接参加することはできなかったのだが、その心情をこの作品にぶつけている。 ピアノという楽器で、ある情景や感情を表現可能であるということを私に教えてくれたのはショパンであった。「子犬のワルツ」「雨だれ」「別れの曲」などはそうである。
1849年10月17日、ショパンは39歳でパリで永眠する。この日を記念してコンクールが1927年から開催されている。正式名称はフレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール。エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクールと合わせて世界三大ピアノコンクールとも言われる。 第五回(1955年)の第1位は、アダム・ハラシェヴィチ(ポーランド)、第2位 ウラディーミル・アシュケナージ (ソ連)。 第六回 (1960年)第1位 マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)。 第七回 (1965年)第1位 マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン) 第4位 中村紘子(日本) 第八回 (1970年) 第1位 ギャリック・オールソン(アメリカ) 第2位 内田光子 (日本) 第十一回 (1985年) 第1位 スタニスラフ・ブーニン(ソ連)
もめることで有名なコンテストでもあるようで、第五回ではミケランジェリが審査結果に異を唱えて途中退席。第十回ではアルゲリッチがやはり異を唱えて審査員を辞任している。(その後、第十四回で復帰) 私の中で最も印象に残っているのは1985年のブーニンである。それまでショパンのレコードは、ルービンシュティン一枚しかもっていなかったから偉そうなことは言えないのだが、コンテストでのブーニンの演奏は何とも言えないオーラを放つものであった。 その時に、ソ連(今はロシア)のピアニストが受賞するなんて、ショパンの人生を考えれば皮肉なことだなと思ったのだが、調べてみると、1955年の第5回コンクールまでの優勝者は、ポーランドかソ連の出身者によって占められていた。 第六回の優勝者ポリーニは審査員の全員一致で選出された。ポリーニはイタリア人。これが、西欧初というか、ポーランド、ソ連以外の優勝者である。 次回は2015年。どんな新しい才能がデビューするのだろうか。 人差し指一本で「歓喜の歌」の第二小節までしか弾けない私でもピアノ曲は好きなのである。
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