カテゴリ:カテゴリ未分類
1942年8月31日、不良少年検挙される。 8月の最初の記事は、「1940年8月1日、『ぜいたくは敵だ』の看板1500本が東京の目抜き通りに立てられた」であった。それから2年経ち、前年の12月8日に日米開戦、そして6月7日にはミッドウェー海戦が日本側の大敗北で終わっている。 「スウィング・ボーイズ」という映画を観たことがある。戦時下のドイツで、「敵性音楽を聴いている軟弱者」として目をつけられ「根性を叩きなおされる」青年たちを描いていた。『er』の、ノア・ワイリーが出演していた。「叩き直す側」として。 戦争は徹底した日常生活の否定である。若者が父母よりも先に死ぬ。普段は「逆縁」がどうのこうのと言いながらこれである。 若者たちの魂はどこへ行くのか。「靖国神社の祭神はその遺族のものではなく、国家に帰属するものであると断言している。招魂祭は故人の霊を個人の霊としてあるいは遺族の血縁の霊としてではなく、国家神道下の国家祭祀の対象としての神霊に転化する儀式である。靖国神社の公式見解では、遺族が祭神を『自分の息子』と考えるのは、『精神方面に間違った現われ方』なのである」 『靖国神社』大江志乃夫 岩波新書 p137 このような靖国神社の、日本の伝統に根差さない特異な、そして独善的な考え方に対して、柳田國男が、「死者の魂は、近隣の山に留まって親族たちをみまもっている」(「魂の行くへ」昭和24年12月)と戦後すぐに書いているのは、よほど腹に据えかねたものかもしれない(根拠はない)。 お洒落もできない。スポーツもできない。特に米国渡来の野球などはもってのほかである。 ジャズやポピュラー音楽などは「軟弱」とされ、「ダンスホール」も閉鎖された。 そして、不良になる自由もなくなったわけである。 お洒落がしたい、好きな音楽を聴いて、ぶらぶらしていたい、髪型なんかも好き勝手したい。スポーツ大好き。みんな平和でなければできないことである。 不良でいたければ戦争に反対しなくてはならない。そうなるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.31 21:41:36
コメント(0) | コメントを書く |
|