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2009.12.14
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カテゴリ:素晴らしい人

先日、ニュース番組のドキュメンタリーを見ていて、考えさせられた。

その男の子は重い心臓病のため心臓移植手術が必要とされていた。日本は臓器移植の後進国なので海外での手術となる。元々移植手術は高額になりやすいが健康保険の利かない海外では渡航費と相まって莫大な金額になる。おそらく募金活動があったのだろう。夢が叶ってアメリカでの移植手術を受けることが出来た。健康状態の懸念のためか旅客機での移動ができず自衛隊機での移動となった。

多くの方の募金という協力と、自衛隊機を特別に派遣という国家の支援、そしてアメリカの病院の受け入れという沢山の人の援助で男の子の命が救われるかもしれない。しれないというのは非常に難しい手術のためだ。他の子どもの心臓を入手するのも困難であり、その心臓が適応するかというのもリスクが伴う。成功しても拒否反応が懸案される。

夕刻のニュース番組での放送なので、きっと最後はハッピーエンドなんだろうなと思っていた。事実その後の映像も放送されていて男の子は元気にしていた。

考えさせられてしまったのは、アメリカの病院で手術前の医師面談での件だ。
医師は男の子の母親にひとつの依頼をする。
「もし、この治療が失敗に終わったら、この子の心臓をドナーとして提供してくれませんか?」
子どもの体に大人の心臓は大きすぎる。子どもには子どもからの心臓が必要だ。だから万が一のことがあったら他の困っている子どもに提供してもらいたいとの内容だ。ひとつしか無い心臓を提供してくれる子が居るからこそ移植手術が成り立つのだ。

そんなことを全て知っているはずのお母さんの返事はNoだった。

自分の子には他人の子の心臓が欲しい。しかし自分の子の心臓は与えたくない。

このお母さんを非難するつもりはないのだが、僕には理解が難しかった。お母さんのエゴと要約したらそれまでなのだが、本当にそうなのだろうか。この母親は息子の生死の境を何度も何度も経験しているのだ。それでも希望を持って絶望感と恐怖感をかなぐり捨て今日という日を向かえているのだ。
きっと、「この子は絶対に助かる」という信念が確立していたのだろう。その位強い意志でないと今までやってこれなかっただろう。

だからこそ、自分の子がドナーになるのにはNoと言ったのだ。息子の死を完全否定するパワーがそういう発言となったのではないか。

でも、もしこの子が人工呼吸器あっての生命となった場合、この心臓は他の子に早くあげた方がいいかもしれない。
だって、お母さんも そうやって他の子の心臓を欲求したのだから。

こういう件は、脳死問題とか、宗教性、その人の考え方などが絡み合って困難なことだ。
でも皆で考えなくてはならない。



博学研究家 横尾けいすけ Yokoo Keisuke
mail to cayman450s@yahoo.co.jp





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最終更新日  2009.12.15 00:09:35
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