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カテゴリ:紀州街道
府道阪南線、貝塚市の北町南交差点から歩き始める 堀新交差点から左の細い方の道路に入っていく。 やはり細い道のほうが、旧街道らしさはあるな。 左手にレンガ造りの寺田紡績の建物を見てしばらくすると、街道は岸和田市に入る。 岸和田藩の城下町なので、マンホールもお城柄。 譜代6万石、岡部家のお膝元、旧街道もそれなりの風格がある。 もうちょっと早い段階に保存運動があれば、もっといい街並みが残っただろうが、保存は住民にとってはいい事ばかりではないからなぁ~ なんとかギリギリ街道らしさは残っている。 古い家屋が並んでていい雰囲気の所があるが、そこいつもおばあちゃんが家の前に立ってる。 今まで何回か前を通っているが、偶然かもしれないがいつも立ってるのよ。 カメラを構えにくくてね~ 紀州街道本町一里塚跡 こんな史跡もある。 旧街道の1本東側の道路に出ると、 岸和田城の石垣が見える。 だんじりの見せ場のひとつ、「S字」と呼ばれるところ。 だんじりの見せ場にするために道がクランク状になってるのではなく、その昔、城下に敵が攻めて来たときに直線で一気に攻めこまれないように、わざと道を曲げていたらしい。 昔は空中戦がないものね。 街道は欄干橋を越えて岸和田市北町に入る。 もう40年ほど前、祖母の姉が北町に住んでいて、何度か遊びに行ったことがあった。 〈うなぎの寝床〉のような家で、家に入ったところは暗いが、中庭は明るかった。 京都の町家のような造りだったんだろう。 紀州街道沿いで前か横に銀行があったような、、、と歩いたが、もう売ってしまって40年ほどだもの、建て替えられたか更地になったか。 そのおばちゃんは娘の嫁ぎ先の鎌倉に移り、お墓も鎌倉。でも岸和田に戻りたがっていたと聞いた。 北町には国指定登録有形文化財の「旧和泉銀行本店(C.T.L.BANK)」の建物がある。 昭和初期の建築。 この銀行だったんだろうなぁ と思いながら写真を撮った。 銀行からすぐ、ここもだんじりの見せ場「小門・貝源」の交差点。 この狭い四つ角で“やりまわし”したら、家も壊れるわね。 壊されているほうが、「いつものこっちゃ」と言ってるので無問題か。保険で元に戻るし。 城下町らしさはこのあたりまで。 岸和田旧市地区から春木地区へ。 地区の名前は変われども、同じく“だんじり”エリア。 どちらも9月祭礼で同じ日程で祭りがあるので、混んでいる旧市は避けて春木で祭り見物するジモティもいる。 だんじりのお家、「だんじり小屋」 小屋の前には、「ご協力感謝、無事に大きな事故もなく終えることができました」と書かれた立て札があった。 今までのん気に歩いてきたが、春木のあたりは車の往来が多く、気をつかって歩かなければならない。抜け道につかっているのかな。 おまけに子供のチャリンコも多い~ この日のゴール、町立忠岡小学校前に着いた。 町立・・・ ここは大阪府泉北郡忠岡町という岸和田市の北隣の町。 市町村合併が流行ったときに、岸和田市か泉大津市と合併するんだと勝手に思い込んでいたが、そのまま「町」で頑張っている。 ここらあたりは10月祭礼なので、電信柱は棒キャンディー状態。 旧街道から南海本線忠岡駅への道には、ずらっと提灯が飾られていた。 今日明日は祭り本番なので、このあたりも賑やかだろうな。 なんか プリンターの調子が悪いぞ インク切れてないのに、青っぽ~い 歩いた距離は5.1km。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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