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カテゴリ:紀州街道
南海本線高石駅近くの交差点からスタート
歩き始めてすぐに地名は〈高石市高師浜〉となる。 音に聞く高師浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ 裕子内親王家紀伊の歌で詠まれている高師浜だが、このあたりの海沿いは堺泉北臨海工業地帯で埋め立てられてしまい、今ではあだ波の寄せる海岸はない。 高師浜を過ぎると、〈伽羅橋〉(きゃらばし)という名の交差点がある。 高師浜、伽羅橋の次は〈羽衣〉。 このあたりの地名は格調高く美しい。 昔は白砂青松の地で、昭和初期には別荘地だった。 “都会に近いリゾート”という場所だったのだ。 私が子供の頃には、ジモティが結婚式をあげる「新東洋」や「羽衣荘」といった宿泊施設があったが、どれも閉館してマンションなどに建て替わってしまい、もうリゾートの面影ない。 別荘地の名残りは少しはあるのか、大きなお屋敷は多い地区だ。 羽衣を過ぎると、堺市に入る。 進行方向左手に浜寺公園の緑が見えてくる。 ここは高校時代のマラソン大会で走らされた公園で、あまりいい思い出はない場所。 マラソン苦手だったの 阪堺電車浜寺駅前駅に到着。 天気が怪しくなってきたのでここで終了。 ここまで2.5km。 日を改めて、浜寺駅前駅から歩く。 しばらくは左に浜寺公園、右はチン電(阪堺電車)の線路という景色。 浜寺公園のこの景色は、昔の海岸の面影が少しはあるか。 大久保利通が守ってくれた松林、泉州の人間はその恩恵を被っている。 チン電は颯爽と走っている。 高師浜から歩いていた堺阪南線(旧26号)とは、〈諏訪森町西3丁〉の交差点でお別れ。 南海本線の踏切を渡ってすぐ左折し、旧道を北上する。 ここからは、平成になってから堺市が建てた「紀州街道」と書かれた石碑が道沿いにある。 比較的マメに建てたようで、よく目にした。 諏訪ノ森、石津あたりは、通りに活き活きとした生活感がある。 下校途中の小学生の姿、整形外科の前では午後の診療開始を待っている人の列、お母さんと一緒に習い事に行く自転車のお嬢ちゃん、買物帰りに立ち話をしているおばちゃんなど。 街道歩きをするのはだいたい同じような時間帯だが、泉佐野からここまでで一番人を多く見かけた場所だ。 神社の境内からも、遊んでいる子供の賑やかな声がした。 写真はなるべく人がいない瞬間を撮っているので、そういう生活感は出ないな。 新興住宅街にはない、ちょっとレトロな匂いのする町だった。 このあたりも10月初旬に祭りがあったので、提灯と寄付の標示板が残っていた。 市立浜寺石津小学校前 ここは〈だんじり〉ではなく、〈ふとん太鼓〉の祭り。 熱心にやっているようだ。 府道34号線(泉北1号線)を横切ると、自転車工場があった。 堺市は国産自転車・部品製造の約4割のシェアがあり、その基礎には、伝統の鉄砲鍛冶の技術が生かされたということだ 西湊町あたりは旧道らしい古い建物が多かった。 西湊町をぬけると〈御陵前〉という大きな交差点。 紀州街道は片側3車線の広い道になり、街道の真ん中には阪堺電車の軌道、それと交差している道路は大仙古墳(仁徳陵)前を通る御陵通、御陵通と平行しているのは土居川で、中世環濠都市堺の守りの要の役目を果たしてきた川だ。 それら全てが交差しているので、大きな交差点だ。 ここから路面電車ひと駅分で寺地町電停。 この日のゴールだ。 歩いた距離は4.4km。 寺地町電停近くには、かん袋さんがあるので寄り道してくるみ餅を買った。 人気のある氷をかけるのよりも、私はこのままのほうが好き。 寺地町電停から高須神社電停までは以前に歩いているので(part.1 part.2)、次回は高須神社電停からになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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街並みよりも、最後のおもちに釘付けです(笑)
かかってるのは、何ですか? (2012.11.08 01:17:00)
>街並みよりも、最後のおもちに釘付けです(笑)
>かかってるのは、何ですか? 豆の餡なんです。ずんだ餅に似てますよ。消費期限は当日のみ。 ここのは絶品ですが、百貨店にも出さないし、支店もなしのお店です。堺の主要駅の堺東、堺駅からも変に遠いという、やっかいなお店です。でも、美味しいですよ~ (2012.11.09 16:20:50)
4キロも歩いたのね、すごいなぁ~~
クルミ餅って、あんまりなじみがないわ、そこの名物なのね。 (2013.12.14 20:40:35)
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