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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2017年02月15日
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カテゴリ:神秘体験空間
久しぶりの書き込みになります。今年は世代交代の年ということを前回紹介しましたが、いよいよ物質文明崩壊の年を迎えるように思います。いよいよ旧約聖書の最後の審判の日が近いと思います。

 こういうことを書くと、最近巷を賑わせているインチキ宗教の幸福の科学とかを連想させるでしょうが、こういうものは偽ユダヤの世界統一政府の宣伝工作の一環で、こういうものに関わる人たちは全て人さらいのように地獄に突き落とされるでしょう。

 というのも、宗教というのは、あの世の話なんで、この世の話ではなく、あの世に従って、この世で戒律をつくるのは全く滑稽で無意味なことだからです。あの世の話なのに、この世で出世とか金銭とか俗世間の人間関係のたわいもないことを言っても、結局地獄に堕ちるだけなのです。あの世を認識できない限りは何を語ろうが虚言なのです。

 だから宗教ではなく、宗教をこの世の話に置き換えた哲学こそが人類の教科書となるべきなのです。

 哲学とは一言でいうならば、自分を発見する、ということです。自分発見の旅にでた有名サッカー選手がいましたが、わざわざ世界旅行しなくても、人生そのものが自分発見の旅なんです。お互いに皆自分発見の旅をするために、自分を写す鏡として他者が必要なわけです。

 御釈迦さんが、わざわざ修行しなくても、人生そのものが修行なんだよといったのと同じです。つまり、現世を生き抜くことこそが、自分発見の旅であり、哲学なんです。

 結局のところ、何かに頼り、依存するのではなく、自分に頼り、自分で行い、自分で責任をもつことで、自分を発見できるというわけなのです。それこそが本物の自由なのです。

 要するに、自分の宗教、自分の哲学をもちましょうということなんですね。

 さて、話は変わって、最近、ある閃きがきました。その閃きとは、人体の方程式みたいなものです。

 ちょっと下火感ありのPPAP風にいうならば、

 アイハヴアー量子力学、アイハヴアー一般相対論、ウァーン、超弦理論

 アイハヴアー量子力学、アイハヴアー免疫論、ウァーン、免疫弦理論

 超弦理論、免疫弦理論、ウァーン、人体弦理論

 という感じです。簡単にいえば、人智学をパクって超弦理論に置き換えたものです。超弦理論の11次元のうち、4次元が外界(物質体)、コンパクト化した6次元が人体(アストラル体)、そして超弦膜が、エーテル体という感じですね。

 さぁ、この人体弦理論を理解するために、シュタイナーの人智学的医術を以下に紹介します。

 ★         ★         ★

 これから出来るだけ沢山の事を片づけようと思う。最初の問題提起において重要なのは、主に、人智学が提供する霊的な洞察法から、外界の物質が人体内に及ぼす働きを、より詳細に学び、そして、その物質に対する反作用を学ぶことである。

 つまり、物質に対する人体の反作用を詳細に知りえれば、病気を診断でき、その物質を薬とする為の指針が得られる。そして、このような知見のほうが、ある薬はこの病気に効き、別の薬はあの病気に効く、といった経験的な対処療法よりも遥かに良い。

 さて、今回もこのような知見を獲得する為に、一見かけ離れた関心事から出発する。提出された質問のなかで、ここにいるほとんど全員が関心を持つと思われる質問、つまり遺伝についての質問が思い浮かぶ。

 遺伝は、健康、もしくは病気の診断において極めて大きな役割を果たしている。

 しかし、遺伝は、実に現代の唯物論的な自然科学においては、非常に抽象的にしか研究されずに、実際の生活に役立つ形ではほとんど研究されていない(1920年代の時点で)。

 一見すると究めて特異にみえるが、遺伝を霊的に研究すれば(秘教に通じないと特異にみえるが、秘教に通じれば一目瞭然の法則性がみえる)、人間が知るべき、宇宙の重要な関係全てが、遺伝(カルマ)という形で、外界のどこかに目に見えるように現れている、ということがわかる。

 外界に遺伝として現れることで、ある霊的な特性(カルマ)が隠されるが、遺伝は人間に有効な霊力が、自然の中に存在する、のを示している。遺伝を研究するには、特に、この霊力を知らなければならない。

 というのも、遺伝として封じ込められた、霊力には、本質が絶えず損なわれ、幻影を纏わせられている為に、正しい診断ができない、からである。遺伝は特異的で、ある現象には判断が下せても、また別の現象にはあてはまらない。

 この特異性は、遺伝が究めて甚だしい幻影に覆われていることに由来するが、遺伝には規則的だが、調整しにくい形で、男性(陽)の力と女性(陰)の力が参画している。参画は規則的だが、その調整は必ずしも可能というわけではない。つまり、遺伝は規則に則ったものだが、調整は困難なのである。

 例えば、天秤の棹を水平に保つのは規則性(バランス)に基づくが、左右に錘(おもり)を乗せていくと、微妙な差で、どちらか一方に傾く為に、厳密な調整が困難なのと同じである。この例えは、遺伝にも概ねあてはまる。

 遺伝には、水平を保つ天秤の棹のような法則がある。しかし、この法則は動的に可変性(動的平衡)をもって現われ、そして、遺伝には常に男性(陽)の力と女性(陰)の力が参画し、しかも、男性の力は、地上の力により強く依存するようにし、一方女性の力は、地球外の宇宙からやってくる(天の)力により強く依存するように方向づける。

 つまり、地球は絶えず男性を要求し、地上の力を通じて男性化する。

 地球は実際、男性発生の源流でもある。女性を要求するのは、地とは反対の天である。天は絶えず女性化を引き起こしている。天の力は、人体全体に対して圧倒的な影響を及ぼしている。

 この事実はまた既に述べた事実を遡って指し示す。受胎を通じて、地上に女性が発生すると、この本性は、次第に天の力を、自らに組み込んでいく傾向に向かう。

 この女性の本性から、益々、人体は天に受け容れられる傾向になっていく。男性の本性が発生すると、それは益々地球に同化する傾向になっていく。すなわち、人体には天と地が共に作用している。

 といっても、例えば、女性には天だけが作用し、男性には地だけが作用する、というわけではない。天と地の両方が男女の両方に作用し、女性では、天秤の棹が、天に多少傾き、男性の場合は多少地上に傾く、のである。

 だから、この事実は平衡を保つ意味で厳密ではあるが、動的には多少揺らぎ、変動している。この事から、ある結論が導かれる。女性が持つ天の力によって、地上の力は動的に絶えず抑制されている。

 しかし、奇妙にも、地の力が抑制されるのは、女性固有の(丸みを帯びる)肉体だけで、男性由来の(角張った)精子や胎児では抑制されない。つまり、この天と地との均衡を巡っての闘いは、精子と卵子による生殖(妊娠)活動は除外される為に、女性は地の力の浸入から免れている。

 生殖活動の周囲で、地の力が天の力に抑制されることで、女性は地の力に由来する(物質=肉体性の)遺伝を免れ続ける。従って、次のような結論に達する。

 「生殖での遺伝(物質性)は、男性を通じて伝わる。」

 女性は、地(破壊)の力に由来する遺伝を免れる傾向にある。しかし、その代わり、女性は卵子のなかに、女性特有(精神性)の遺伝を与える。

 従って、次のような疑問が思い浮かぶ。

 「破壊力の遺伝に対して、人間社会はどのように対抗できるか?」

 遺伝は、精神もしくは物質にも躊躇なく伝わる。この事実は精神病と呼ばれる病気がみられる家系には、糖尿病が出現しやすく、つまり精神から肉体へと遺伝が移る、というような現象に示されている。

 だから、このような破壊力の遺伝から、どのように免れるか、というのは途方もなく重要な問いである。この破壊力の遺伝に対しては、とりあえず女性の健康をできるだけ維持するように配慮するしか社会的な方策はないように思われる。

 というのも、女性を通じて、天の力が、地上の力を抑制し、その影響から、胎児などに有害な破壊力をもたらす遺伝を、女性の肉体から制圧することも可能となってくるからである。

 つまり、女性の健康によく注意が払われている社会では、遺伝に伴う、地の力に発する破壊的な影響に対し、闘いが行なわれる。というのも、天の調停(均衡)力を増幅させる蓄電池が、女性にしかないからで、そのような力の効果に訴えかけられるからである。

 以上は、地上の力と天の力の均衡によるもので、普遍的な事実である。このような事実は、血友病(1)を調べれば明らかになる。遺伝については、一般論を様々に述べるのではなく、具体的な事実が手にとれるように、わかりやすい形で示せるように研究すべきに思われるだろう。

 血友病患者での遺伝現象を研究すれば、究めて奇妙な現象が見つかるが、今説明した事実がそのまま現れる。

 つまり、このような事実から、家系のなかで、血友病の遺伝(継承)が現れるのは、男性だけだが、表に出ない血友病の因子を遺伝するのは女性であることがわかる。例えば、血友病患者の娘が血友病でなくても、彼女の息子に血友病を遺伝させることがあるので、血友病の家系の一人に女性がいれば、その女性が男性を産むと血友病を遺伝させる恐れがある。

 血友病の遺伝については、男性は血友病になりやすいが、血友病の家系でない女性と結婚すれば、血友病は遺伝されない。

 以上の事実を分析すれば明白な遺伝現象が得られるはずである。この血友病に関する遺伝現象は、少し前にヴァイスマン(2)が行った研究よりも遥かに明確で、遺伝の本質が水面下でどのように進行するのかを示している。

 この天の力と地の力の均衡という事実は、人体にはかなり重要なもので、この事実に従って、診断する必要がある。

(2)アウグスト・ヴァイスマン[August Weismann]、1834ー1914
  最初は医師、1866年から1912年までブライスガウのフライブルク大学で動物学教授、獲得形質の非遺伝性を仮定した。「遺伝理論の基礎としての生殖質の連続」(イェナ、1885)、「生殖質」(イェナ、1892)、及びその後の論文参照。

 では、一体、血友病は何に起因するのか? 

 何に起因するのかは、物質的に観察しても示せる。血液の凝固力が無い為に、人体に小さな傷などの開口部が生じても、出血多量で死ぬことがあり、鼻血、もしくは簡単な歯などの手術でも、通常なら、血液の凝固で傷が塞がるのに、血友病の場合は塞がらない。

 この病気は血液の凝固力不足に因る。血液自身が、凝固力に対抗する力を持ち、この抗凝固力が強すぎると、凝固を促す外力がかかっても抗凝固力を止められなくなる。血液の凝固には外力が関わる。この外力を抑制してしまう力が血液にあると、過度の液体化の傾向が現われてくる。

 このような強力な液体化への傾向は、自我による全体制御に関係することがわかるが、この液体化の傾向は、物質を介しての、自我の外への働きと関わるのではなく、自我の内への働きの意志と関わり、表象(イメージ)を介した外への働きではない。

 つまり、人間の意志の強弱と、血液の液体化の強弱とが関係する。

 以上のような正しい解釈から、歴史上の事件のある秘密へと辿り着く。それは、あの有名なエンガーディン(スイスの一地方)の事件(3)で、つまり有名なエンガーディンの乙女たちの秘密である。

 このエンガーディンの乙女二人は、医学が必要とする霊的な認識を、徹底して学ぶことで獲得できた。この乙女たちは、血友病の家系の出で、結婚しないと固く決意していた為、血友病の遺伝を個人的に撲滅した人たちとして歴史に登場している。

 (3)エンガーディンの乙女たちの事件:エンガーディンに、これに当たる事件は見当たらない。逆にテナ、ザフィエンタールでは、おそらくここで示唆されているようなケースが起こった。またエルンスト・ツァーンの長編小説「タノの女たち」(1911 タノはテナという地名の詩的な変形)も参照のこと。

 さて、このような場合、上述の事実に目を向けなくてはならない。この乙女たちのように結婚を諦めるのは、血友病の家系特有の意志の薄弱さからくるものではなく、強い主観的な意志が自我のなかで働き、アストラル体まで達するように養成されたことにある。

 つまり、彼女たちの自我のなかの、この強い意志を成立させている精神は、血友病患者に必要な凝固力と関係している。

 この(凝固)力を意識的に強めれば、血友病でない人よりも、容易に強化し得る。この(凝固)力を、霊(精神)的な形で認識できれば、血液のなかの力の本質がわかり、外にある物質と、どのような相互作用が生じるのか、を認識できるようになる。

 このように意志と関係する血液の凝固力に注目することで、人間の意志と外にある力との関係が、総じて、どのようなものか、を洞察できるようになる。そして、次のような結論に至る。

 「外界のある力は、人間の意志と親和性を持っている。人間の外と内との、この親和性は、宇宙の進化が進むにつれ、人間の意志が、月紀の終わりに自然界のなかに分離された事実に基づいている。」

 月紀の終わりに、人間の意志は、自然界のなかに力として分離された。

 重要なのは、人間の進化過程のなかで、外の自然のなかに分離された力が、その特性を通して、人間との関係を、どれ程、持ち得るのか、ということを研究することである。

 このような力は長い間、古くから、自然のなかに研究されてきたが、それがどの様な研究なのか、を思い知るのは極めて困難である。というのは、十七、十八世紀までの先祖伝来の医学が猶も保持していた霊力を、主知主義的な現代人のなかに再起させるのは困難だからである。

 このような研究とは、アンチモンに関するものである。

 アンチモンは全く奇妙な物質である。伝説的な、バシリウス・ヴァレンティヌス(4)のような人たちが、熱心にアンチモンを研究したのも、上述した遺伝や意志と、自然との関係を知る為である。アンチモンのある特性に注目するだけで、アンチモンが独特の形で自然全体に分布しているのが認識できる。

 (4)バシリウス・ヴァレンティヌス
 Basilius Valentinus 14世紀と15世紀の変わり目頃生きた。著作:「アンチモンの凱旋車」「太古の賢者の偉大な石」「化学の黙示」

 アンチモンは独特の形で、自然全体に分布している。アンチモンは第一に(この性質はまだアンチモンの取るに足らぬ特性だが)、他の金属や物質と究めて高い親和性をもつので、他の物質と共に、とりわけ硫黄を介して現われることが多いが、自然全体に分布している。

 アンチモンの名は、ギリシャ語のアンチ(反)-モノス(単独)という「孤独嫌い」の意味からきている。

 硫黄は自然のなかでは、このような特殊な働きを持つのを、前に少し述べた。他の物質と硫黄を介して結合する傾向は、アンチモンが自然全体のなかに分布している様を示している。

 しかしまた、アンチモンの別の特性は、アンチモンが自然全体のなかに分布しているのを更によく示している。つまり、アンチモンは、できるだけ束(房)状の結晶のなかに現われるが、それはすなわち、地を離れて、線状の形で天を目指し進んでいく、という特性をよく現わしている。

 アンチモンが線状に、上へと伸びながら堆積していくような性質のなかに、天から地上へとやってくる結晶力を、外(物質)的に視覚で捉えることができる。というのも、通常は、もっと大きな形で現れる天の力が、アンチモンでは小さな束(房)状の結晶で現れるからである。

 上記の特性は、アンチモンが自然全体に分布している様子を露呈する。同様に、地球の溶解過程が、アンチモンの結晶力を露見させる。溶解を通じて、アンチモンは細かい繊維状の形で得られるからである。

 アンチモンのまた別の特性は、熱せられると、酸化、燃焼する、というものである。そのとき、放出される白い煙は、冷たい物質との、ある親和性をもつ、という独自性を示すが、この煙が付着して名高いアンチモン華を産出する(1)。

 (1)アンチモンの結晶:アンチモンの主要鉱石は輝安鉱。アンチモンは硫黄と結合して現われることが多いと述べられているように、輝安鉱の成分はアンチモン(Sb)71.4%と硫黄(S)28.6%から成る。輝安鉱の結晶は長柱状、針状をなし、繊維状、毛状になることもある。
  輝安鉱を木炭上で熱すると、容易に溶融して液状になり、そのまわりに三酸化アンチモンの白色の蒸皮を生ずる。また開管中で熱すると、管の底部に不輝発性の白色昇華物を残し、上部には白色輝発性の昇華物が輪状につく。原鉱石の溶融によって得られる硫化アンチモニーはそのままでもマッチ、花火などに用いられる。  

 アンチモンのもっとも奇妙な性質は、これまで述べてきた地の力に含まれる電磁気力に対して独特の防御力をもつことにある。アンチモンを電気分解し、陰極に沈殿物を運び、金属の先端で触れると、小さな爆発を引き起こす。

 この電気に対するアンチモンの抵抗は、この抵抗を支援するもの(触媒)が得られれば、極めて特徴的な性質となる。アンチモンのこの特性を調べることで、自然全体のなかに、1つの物質が置かれている様子を実際に観察できる。アンチモン以外の他の物質は、アンチモンほどに全体に万遍なく分布しているわけでもなく、アンチモンのような性質を示すことさえない。

 さて、アンチモンのように、自然において、明白な形で、自らの存在を示し、認識できるのは、自然のなかにある様々な力が万遍なく作用し、共に打ち消しあって、均衡状態になっているのを前提とする場合である。物質が特別な力を示すとき、そのような力が、物質のなかに集中しているのがわかる。

 アンチモンに集中している力は、元々は地球の様々な場所に拡がって存在している。だから、アンチモンの力は普遍的に作用している。アンチモンの力は、人体内でも、均衡(調停)的に作用するが、人間は、このアンチモンの力を、健康時には天の力から取り出す。人間は、天の力から、アンチモンに集中している力を取り出すのである。

 健康時には、人間は、地上でアンチモンとなっている力、つまりアンチモンに集中されている力に頼ることはないが、地の力に依存しすぎて、病気になると、アンチモンとなっている天の力に頼らずを得なくなる。だから、次のような疑問をもつのは当然だろう。

 「一体、このアンチモンとなっている天の力とは何なのか?」

 この天の力とは、占星術風に惑星(天体)の名を用いるなら、水星、金星、月の共同作用のことである。これらの惑星(天体)が、それぞれ別々に作用せず、一緒に作用するのを、錬金術風に言うなら、水銀、銀、銅が各々単独で作用せず、それらの金属をあわせて、地球においてはアンチモンのように作用する、となる。

 アンチモンの作用;水星、金星、月の共同作用

 この3つの天体の合同力は、月、水星、金星の三つの力が、衝や矩といった適切な座相(2)によって中和されるような配置で、地上の人間に与える作用を探究すれば判明するだろう。

 (2)衝、矩:「衝」は惑星どうしが180度の角度で向き合う位置関係、「矩」は互いに90度(四分円)の角度になる位置関係。

 これら3つの天体が、中和し合うように作用するとき、地上のアンチモンと同じ作用が起こる。地上で、アンチモンとなる、これら三つの天体の、天から地球に作用するのと同じ力が、今度は均衡をとるために、地上から、反作用として生じる。

 さて、やっと重要な事実に辿り着いた。地球の構造を考える上で、アンチモンを、1つ、2つの塊で(量的に)考えるのは正しくない。地球の銀も、金も、構造の上では(質的には)1つであるように、アンチモンも1つとして、考えないといけない。量は、それほど問題ではない。

 一塊のアンチモンを、地球から取っても、構造(エーテル)の上では、地球から、全アンチモンを取り出していることになる。つまり、その一塊のアンチモンは、アンチモン全体の活動の1つなのである。以上のことは、アンチモンの地上での働きを通じて明らかになる事実である。

 さて、自然においては全ての作用に反作用が相対している。物質は常に(天と地の)作用と反作用の往復運動によって生じる。

 さて、今度は、アンチモンの反作用を探す必要がある。この反作用を探すには、人体内で抑制され、制御されている何らかの力が、人体外に出る瞬間に、アンチモンは人体に作用する、という特性を洞察できなければならない。

 この外から人体に作用する力とは、血液の凝固力なのである。つまり血液の凝固にはアンチモンが働いている。血液が凝固の傾向を示すところでは、必ずアンチモンが存在する。そして、血液が凝固力から逃れようとするところでは、アンチモンに対する反作用が存在する。

 従って、血友病を調べると、奇妙にも、アンチモンに対する反作用をみつける。この反-アンチモンの力は、(一種の造語だが、)アルブミン、蛋白質形成力とでも名づけたいもので、このアルブミンは蛋白質の形成を促進するように作用する。というのも、血液の凝固を妨げる力は、蛋白質をつくる力だからである。

 アンチモン=凝固力⇔アルブミン=蛋白質形成力

 上述の事実から、人体でのアンチモンとアルブミンとの関係を認識できるようになる。アンチモンとアルブミンの相対関係を研究すれば、罹病と治癒についての根本的な認識が得られる。

 では一体、アルブミンとは何なのか?

 アルブミンを通じて、自然の、あらゆる可塑性の蛋白質形成が、人間や動物の肉体の一部として組み入れられる。逆にアンチモンは、外から人体に作用する、いわば造形芸術家で、人体の器官などに形(フォルム)を与える。このように、アンチモンは、アルブミンの人体内での蛋白質形成力に対して、対極的な関係をもつ。

 だから、人体内の器官などについて、この両方を区別して欲しい。例えば食道では、アンチモンとアルブミンのどちらが優勢か、を判別することで、粥状になった食物が食道に沿って通過していく様子などを調べなくても、食道の形状を追求できる。

 アンチモンが与える、食道の形状に沿って、摂取した食物から、アルブミンの蛋白質形成力により食道がつくられる。つまり、アンチモンと、外からもたらされた食物を基に、アルブミンが、器官などで共に働くのを洞察することで、診断できる。

 器官形成に関わるアンチモンと、外から摂取した食物からの蛋白質形成に関わるアルブミンは、二つの対立し、異なった生命活動(プロセス)である。

 器官に形を与えるのはアンチモンである。外から摂取される食物を度外視して考えれば、人間は本質的にアンチモンといえる。だから人間はアンチモンなのである。

 重要なことは、健常な器官などに、アンチモンの負荷をかけすぎてはいけない、ということである。健常では、アンチモンを供給してはいけない、さもないと人体を毒し、過度に器官を刺激してしまう。

 とはいえ、器官形成を強く刺激する必要があるときは、アンチモンを与える必要がある。上述したアンチモンの独特な作用を加味して、内外から供給しないといけない。

 例えば、アンチモンを内から用いるときは、アンチモンの力が人体上部にまで到達できるように、人体内でよく消化できるように希釈して用いないといけない。アンチモンの力が人体上部にまで達すると、アンチモンは、不活発な器官形成力を刺激する。従って、チフスにおいても、アンチモンを人体内で非常に希釈することで、大きな役割を演ずることができる。

 また外から用いるときは、アンチモンをあまり希釈せずに、軟膏などで皮膚表面から用いれば、アンチモンの作用は、内服とは異なって達成される。また、この場合も、状況によっては外用だけでなく、内服が必要なのが判明することもある。とはいえ本質的には、外用は、あまり希釈しないで用いる。

 究めて有用なアンチモンの内外の使用から、人体が規則的に、しかも同時に物質を絶え間なく希釈する生命活動のなかでつくられている事実がわかるだろう。従って、次のような結論に至る。

 「意志の強い人には希釈して内服で、意志の弱い人にはあまり希釈せずに外用がよい。」

 以上のように内外の用い方によって、アンチモンの特性を活用すべきである。以上の事実から、鉱物界のなかのアンチモンが、人間の意志と親和性をもち、意志が強いほど一層、自我の感受性にもよるが、アンチモンに対する反作用を引き起こす。

 人間の意志は、アンチモンの作用を抑制しようとするが、一方で、肉体の形成などの組織化は、思考力、特に無(潜在)意識の思考力(エーテル;例えば、子供にみられる無意識の思考力)などの影響下に、アンチモンに基本的に支えられ、共同で働く。

 従って、もし、人体に恣意的にアンチモンを与え、それが強力に作用したなら、ファントム(幽体;物質となる前のエネルギー分布状態)を形成する。

 器官形成力が即座に刺激され、アンチモンと共同して働く為に、食物摂取物を使い果たし、不足してしまう。つまり嘔吐や下痢は、器官形成力が、器官の周辺にまで広がらずに、器官自身へと後退(縮退)してしまうことで生じる。この現象もまた反作用と共に現われてくる。

 アンチモン→嘔吐や下痢

 このようなアンチモンの人体への有害な作用は、意志の強い人なら、日常のある行為と同様に自我の強化により抑えられる。この、ある行為とは、あるものを通じて、人体のリズムを整え、維持する嗜好のことである。

 この、あるものとは、コーヒーである。以下はただ事実を述べるだけで、コーヒーの嗜好を推奨するのではない。というのも、コーヒーに依存して、自我のなかの意志の強化を怠ると、また別の意味で、有害となるからである。

 人体のリズムを自らの意志で調整できるほど、充分でない場合、コーヒーを飲むことは、代わりに調整へと導く。従って、アンチモンによる中毒には、コーヒーは特効薬の一つとなる。というのも、コーヒーは、外界と、器官形成との間に、リズムを復元させるからである。

 (眠気覚ましにコーヒーを飲むのは、眠らない、という意志を強化するためと考えられる。)

 アンチモン⇔コーヒー

 器官形成力は、外界と、ある一定のリズムによって維持されている。コーヒーを飲むと、器官形成力と、外界から摂取した食物による蛋白質形成力との間にリズムをもたらす。

 以上のアンチモンに関わる器官形成力は、アルブミンに注目するように導く。アンチモンと相対するアルブミンに関わる蛋白質形成力は、内向きの器官形成力に乏しく、外向きの、器官を機械的に動かす、運動などによって消化に導くような働きに関わる。

 つまり、腸の運動などの機械的作業や、通常の消化に関わる働きは、アルブミンと親密に関係し、同時に蛋白質形成へと向かわせる。

 さて、以前に話したが、再度述べる。牡蠣の殻は、非常に興味深い教唆に富む生命活動の教材となるもので、また同時に教師ともいえる。小規模だが、玉子の殻、つまり石灰の分泌にも同じ活動が見られる。

 では一体、この殻の根底には何があるのか?

 牡蠣や卵の殻とは一体、何なのか。殻は、玉子や牡蠣という生命が自分のなかから放出すべきもので、外に送り出さなければならないものである。しかも、その理由は、もし玉子や牡蠣が、殻を自らのなかに保持していたら、死んでしまうことによる。だから、殻は、生命活動を維持するために、外に出される。

 だから、牡蠣を食べると、牡蠣と一緒に、殻として、外界に出現する生命活動を食べることになる。牡蠣と共にその生命活動を一緒に食べることになる。

 つまり、牡蠣を食べると、アンチモンと対置されるアルブミンも一緒に食べることになる。牡蠣を食べることで、チフス様の症状に通じる活動を促進する。牡蠣を食べることは究めて興味深い経過である。

 牡蠣を食べることは、下腹部での、アルブミンの蛋白質形成力を促進するので、同時に、人体上部の頭から、この蛋白質形成力を解放し、頭の負担を軽くする。すると、主観的に軽くなったように感じるので、牡蠣を食べる度に、頭が空っぽになる。

 人間は、このアルブミンの蛋白質形成力を、自らの霊力で発達させなければならない。ところが、蛋白質形成力を頭が担うのを妨げる。牡蠣を食べると、頭の負担が軽くなるので、頭が空っぽになるのを求めるようになる。

 従って、牡蠣を食べすぎると、前に特徴を述べた、人体上部の頭から、下部の下腹部へと、蛋白質形成力を移行させる可能性を大きくし、つまり、チフスになりやすくなる。だから、このチフスの傾向があるなら、このアルブミンの作用を同定することで、アンチモンを用いて、どのような方法で、抑制し得るか、考察すべきである。

 例えば、体外からは、アンチモンの軟膏を擦り込む、と同時に、体内で、非常に希釈されるように、アンチモンを投与することで、チフスへの傾向を抑制できる。また、このアンチモンの内服と外用を同時に行うことで、相反する反対側の作用を段階的に中和できる。というのも、チフスの傾向以外は、相互に調整し合い均衡をとるからである。

 以上のことから、人間を、全宇宙の環境のなかに継続的に据える、という試みが、どのようになされているかが、わかるだろう。この意味を知るには、自然のなかの、地の力に対して、ある形をとって直接的に抵抗することで成立している生命体と、人間との関係を調べてみる必要がある。

 植物は、地の力(重力)に対して、直接抵抗し、天に向け生長している。植物は、十分生長した後で、花や種子をつくる為に、生長力をとっておく。人間に、通常は鑑賞され、時には食される植物の基礎をなすのは、地の力のうちの特定量が植物の生長力に転じる、という事実に基づいている。

 植物は、地の力に抵抗し、天に向かって生長した後、次いで天の力に曝されることで、花を咲かせ、種子を結実させると、今度は、進化の道筋において、植物の上方にいる動物たちのように、この世界を見渡すように、見渡したい、と思うようになる。

 そこで、植物は、知覚への欲求を示すようになる。ただし、植物は知覚器官を持たないので、植物のままにとどまり、人間の眼のような感覚器官を発達させようとする。しかし、植物は、植物の体しかもたず、人間、もしくは動物の体ではないので、眼をもてない。

 だから、動物になりたい植物は、アトロパ・ベラドンナになる。ベラドンナになっていく生命活動を、以前なるべくわかりやすく描写した。ベラドンナになることで、その根のなかに、最終的に、黒い液果(果実)を実らせることで、この植物は、次のような人体の活動と親和性をもつようになる、

 「肉体形成のエーテル体から感覚形成のアストラル体への活動、つまり、人体の生命活動を、再生=エーテルの領域から、感覚=アストラルの領域へと上昇させる活動」である。

 人体上部に達するまで希釈された、微量のベラドンナを服用した場合に生じる作用は、究めて興味深い。それは、夢見の状態からの覚醒(目覚め)に、よく類似しているからである。夢からの目覚めは、ベラドンナの作用が適度に抑制されて起こる。

 覚醒(目覚め)の際、感覚がまだあまり不十分で、夢見の意識状態にあるとき、その根底には、上述のようなベラドンナの作用がある。

 ベラドンナによる中毒は、夢見の意識状態を引き起こし、しかも、それが継続して行なわれ、意識に目覚めることなく、夢うつつの過渡的状態が、ずっと持続していく。

 この中毒を通じて引き起こされる夢見の意識状態が、正しい経過で起こるなら、寝起きの覚醒状態になるのは興味深い。

 前に特徴を述べたように、植物がベラドンナになるのは、植物の人間になりたい、という気違い染みた努力なのである。だから、次のような結論に至る。

 「人間が、眠りから覚めるのは、ベラドンナの作用をもっているからである。ただし、人間では、その作用は中毒にならず、中和されたベラドンナ、節度あるベラドンナであり、目覚めの瞬間だけに限定されている。」

 従って、牡蠣を食べて、アルブミンの重荷を頭から解放したなら、アルブミンの重荷を、再び、魂(アストラル)へと導くために、ベラドンナを人体上部に達するまで、希釈されるように、与えればよい。

 ベラドンナは、アルブミンの負荷を除こうとする働きを、再び、魂のなかに引き戻す。ベラドンナ自体は、確かに人間に混乱や幻影に満ちた夢見の状態を与えるが、ベラドンナの作用を中和して正しい経過で進行させたなら、通常の目覚め、肉眼による視覚の世界が眼の前に現われてくる。

 夢見の人間を、外から揺り起こしてみた結果、夢見の状態から覚醒状態に移らず、そのまま寝ていたら、死んでしまうだろう。このように、人間は目覚めるとき、常に生命の危険に曝されている。ただ、この生命の危険を回避できるように、ベラドンナの作用を中和し、すばやく目覚める(覚醒意識になる)のである。

 上述の事実は、ベラドンナの作用に対して均衡がとられ、正しい経過で進むために、睡眠から瞬時に覚醒意識へと引き戻されているが、均衡が破れ、正しい経過を越えて導かれる瞬間、忽ち異常な状態へと陥る、興味深い関係を示している。

 上述の均衡と、正しい経過の関係は、古代の医師たちが繰り返し追求し、試みていた生命活動の扉を開く鍵となるものである。だから古代の医師たちが、ホムンクルス(ホメオスタシス)の製造(5)に言及するとき、まだ残っていた彼らの霊視力で、アンチモンによるファントムを見ていた、のである。

 (5)ホムンクルスの製造:たとえばパラケルスス「デ・ゲネラツィオーネ・レールム」(バーゼル1574、第1巻7頁以下)参照。

 彼らが実験室で探究していた生命活動とは、人体に投与したアンチモンの力が展開される間に、自我の意志により、アルブミンの力を強めることで、このアンチモンの力を抑制し、均衡を図る方法だった。このアンチモンの力が、自我からのアルブミンの力と均衡をとり、合わさり、まさに1つの力として現われた。

 人体内に残っているアルブミンの蛋白質形成力を、アンチモンの器官形成力と均衡させ、そのとき、アンチモンが様々な形(フォルム)をとっていき、出現したホムンクルス(均衡状態=恒常性)を見ていたのである。

 アンチモンの凝固力と、アルブミンの蛋白質形成力の中和が起こる均衡状態で、出現する生命活動(動的平衡)を、彼らはホムンクルス(ホメオスタシス)と名付けたのである。

 1-19

 唯物論的な科学では、例えば、毛髪を調べると毛髪中にシリカ(ケイ素)が見つかり、尿を調べると尿中にもシリカが見つかる、ということ以外に何も発見できない。しかし、何らかの物質が、人体の何処かに見つかる、というのは、生命活動の本質ではない。というのは、毛髪中のシリカは、なんらかの活動の結果、毛髪中にあるからである。

 つまり、何の根拠もなく人間は毛髪をもっているわけではなく、毛髪からもまた人体へと究めて精妙な霊力が伝わっている。究めて精妙な霊力が、毛髪から体内に入っていく。尿中に、シリカがあるのは、シリカが、体内に過剰にあるからで、使用されないシリカが、尿中に排出される。

 だから、シリカが尿中にある、ということは、さほど重要ではない。尿中にシリカを出した、人体のある部位では、シリカが過剰で、不活発なので、活動に寄与しないシリカが追い出された、のである。だから、尿中にあるシリカは、必要のない、無意味なシリカなのである。

 また他の物質、マグネシウムを例にとっても同じである。歯のなかにマグネシウムがないと、歯は成り立たない。というのも、マグネシウムのなかに、究めて重要な意味で、歯の構築に関与する力が生きているからである。

 この事実は、レーマー教授の講演で聞ける。さて、唯物論的科学は、「マグネシウムは乳汁のなかにもある。」と言うが、乳汁の中での、マグネシウムはさほど重要ではない。乳汁はマグネシウムを排出するほど、自身で強い形成力をもち、乳汁の中にマグネシウムをみつけるのは容易ではない。

 唯物論でも、この事実は分析できるが、乳汁は次のようにつくられる。

 「乳汁は、マグネシウムの(形成)力を引き離す(捨てる)ことでつくられる。」

 歯の形成過程と、乳汁の形成過程の、この独特の対立については、歯の形成の本質であるマグネシウムが、歯の形成の一部として、ダイナミックに入り込んでいく過程をみていけば少しは実感できる。

 乳汁がつくられる過程では、マグネシウムは、5番目の活動の後に排出される。そして、例えば、フッ素についても同様で、これは歯の琺瑯質(エナメル質)の本質で、フッ素無しには歯の発達を理解できない。

 フッ素は尿中にもあるが、単なる排泄物であり、尿中でなんらかの機能を担うわけではない。尿中のフッ素は、使用できない、排泄された物で、フッ素を排泄するほど、人体の器官形成が十分であることを現す。





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Last updated  2017年02月20日 17時14分03秒
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