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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年04月25日
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カテゴリ:神秘体験空間
我々地球人は、地球紀に経験を積むために、地球に生まれているわけで、だからして、地球紀のポストアトランティス時代のアーリア文化期、つまりカリユガの時代特有の唯物論から、唯物的な物欲塗れの自我を認識し、物質科学的思考を手に入れたわけだが、今度は、その思考を捨て去るために、地球に生きる経験から、物質的な自我を、霊我=マナスに浄化しなくてはならない。

このカリユガの物質的な自我により、個人個人を比較できる物質的な覚醒意識を、量や質を吟味する数学などを用いて思考することで、地上での経験から獲得したわけだが、そして、それは現代のDNA生物学や脳科学やAIを生み出しているが、代わりに古代から継承されてきた霊能力を失ってしまった。

だから、地球紀とは、物質的翻訳なしでは、自己を確立できない時代といえるかもしれない。

この霊を物質化する働きが、ルシファーの善悪を判断する知識の実であり、それが社会問題化しているのが、様々な対立や紛争や戦争を生み出している選民思想という差別主義、民族主義で、古代から言われている、覇道の権力志向でもある。さながら、現代人は、自己を物質化し大きくみせるのに専心している、物質界の奴隷といえるかもしれない。

物質が全てであるという唯物論は、現代に至って、脳が全てであり、神経細胞の電気信号に還元されるという、いわばルシファーの権威主義、権力志向が、形を変えて、確率統計論などの、アーリマンの物質科学に洗脳されている。そして、そこには、虚栄心や名誉欲という強欲な物欲への憧れが、つまり悪魔が微睡み、巣食っている。だから、戦争とは、悪魔、つまり悪い宇宙人によって人類同士が戦わせられている実態に気づくべきである。

悪魔は、「お前は誰よりも価値があり、誰よりも尊重されるべき存在なのだ。だから、お前は戦ってそれを示す必要がある」と個人的自我に、物欲で訴えかける。そして、「お前こそが、地上の支配者なのだ」と、地球人同士を対立させ、戦場へと駆り立てる。その陰で、「人類などちょろいものだ。直接手を下す必要もなく、滅ぼせる」と悪魔の高笑いが聞こえる。

物質科学主義に走るほど、悪魔の手下に加えられていく。確率統計など何の役にも立たない。人類を分割し、勝ち負けを演出し、対立を生み出すツールにすぎない。アインシュタインは、量子力学の確率論に対して、神はサイコロを振り給わずと反論したが、その反論は、彼が無神論者でない、つまり悪魔主義者でないのを証明している。

大人のため数学カフェ 量子力学入門シリーズ 第1回 量子を求めて: 桜井進 "Journey for Infinity" (ssfactory.sblo.jp)


さて、前回は、量子力学の観測問題を、シュレディンガーの猫を譬えにして、人智学の解釈を用いた仏教、特に真言宗から解き明かし、紹介したが、仏教から、量子力学の波動関数を考えると、観測者の観測能力の問題に帰着するのがわかる。

多世界解釈から平行宇宙へと、仏教的解釈を用いると、物質科学で定義されている、いわゆる4次元時空と呼ばれる物質界を超えて、多次元宇宙の世界が想定できる。シュレディンガーの猫は、量子力学の、猫の生と死の確率の波動関数で表現されるが、それを観測する観測者の能力により、重ね合わせの状態がデコヒーレンスされ、一つの固有状態が選択される。

量子デコヒーレンス - Wikipedia

デコヒーレンスの際に、マクスウェルの悪魔のような知性を用いれば、エントロピーの減少も思いのままに、猫の生死を操ることも可能となるかもしれない。それはさながら量子力学の観測問題を黒魔術にする悪魔といえるかもしれない。

マクスウェルの悪魔 - Wikipedia


しかし、それはもはや人間の思考実験というよりも、人間のなかの悪魔の思考実験というべきものだろう。人類の思考のなかに、どれだけ悪魔の干渉が混じっているのか、どれだけ悪魔の波動に影響され、未来の選択を委ねてしまっているのか、いずれにしろ、シュレディンガーの猫の生死の波動関数は、人間の観測という知性に悪魔が干渉しているという、人間と悪魔の感性の波動関数に置き換えられる。

ψ(生+死) ⇒ ψ(ヒト+悪魔)

観測者の物欲が大きいほど、現世への執着心が多いほど、確率統計論になり、論争、闘争、戦争の未来に委ねやすくなり、例えば、権力者や独裁者の破壊的な現世の物質的思考となり、死を望むものとなるだろう。そして、ヒト足る善意の友愛をなくし、孤独となり、死を最大の恐怖と感じるようになるだろう。

かつて古代ギリシア人には、死がなかった。古代エジプト人にも、死はなく、あるのは、来世への輪廻転生で、それは蛇の脱皮のような、生のための死であった。それを可能にしているのが、霊能力の超感覚で、死を乗り超える、死から生への神の観測能力である。だから、古代エジプトにも、古代ギリシアにも、質と量を記述する数学は必要なかった。数学の素となる幾何学が、霊能力のなかに神々の啓示としてあったからである。

だから、プラトンがつくった学院の門に、幾何学せぬもの通るべからず、とわざわざ掲げたのは、師ソクラテスが説いた神々との対話の出来ぬものは、哲学をする資格がない、のと同じ意味をもつのがわかる。だから、古代ギリシア人には数学は必要なく、哲学さえあれば、神々と対話することで、未来が一律に定まったからである。

ソクラテスにいわせるなら、数学は無知の一つで、人間が未来を予測できないために、編み出したというよりも、悪魔に唆された物欲の一つなんである。量と質を物質的に捉え、自他を比較して、論争、闘争、戦争の対立を生み出す根拠となるものである。そこに介入するのは、神々という名の悪魔でしかない。

アインシュタインの神はサイコロを振り給わずが、悪魔はサイコロでヒトを迷わし敵対させる、にかわるといえる。だからして、現代の数学を再び古代ギリシアの幾何学的思考の哲学へと、純化していく必要がある。

悪魔は数学などの物質科学の知を用いて、人類を物質界の地に束縛し、奴隷化し、死に拘束しようとしている。つまり、悪魔は、ψ(生と死)⇒ φ(生)に確率論で生に執着させ、収束させようと、ヒトを翻弄するが、実際は、φ(死)に時間発展しているだけなんである。というのも、量子の生成、消滅は、生命体の生と死ではなく、単なるエネルギーの変換でしかないからである。

シュレディンガーの猫の何が問題かといえば、生命体である猫を、物質化して、量子の生と死に、単なるエネルギーの光量子にしているところにある。量子力学で生命体を扱えない矛盾に気づいていないのが、物質科学の欠点なんである。だからして、量子力学の観測論は、量子場という時空間をエネルギーの箱とすることで、ドラえもんの四次元ポケットのように、任意に取り出し可能にし、猫の生と死は、量子の生成と消滅のエネルギー論に転嫁できたわけなんである。

だから、丁半博打のサイコロが、電子のシュミレーションゲームに置き換わったわけで、数学が困難な生命問題を回避して、DNA生命学や脳科学になったわけなんである。しかし、悪魔はそのなかに正体を隠して潜んでいるのに変わりはない。

シュタイナーは、ポストアトランティス時代のアーリア文化期の特徴として、このカリユガの風潮の、悪魔による霊の物質化に警笛を鳴らし、人智学を興したわけだが、この風潮の克服のために、東洋の仏陀と、西洋のパウロの地上での役割から、解き明かしている。

仏陀は、地上に染まってはいけない。物欲を放棄し、執着してはいけないと、民族主義の放棄を地上で説き促したために、当時の人類を束縛していた民族主義から人間を解放するために、仏教を興したわけなんである。当時は歪んだ民族主義のために戦乱が絶えず、カースト身分制度が確立していたためでもある。だから、ゴーダマシッタルダは、王の家系に生まれた釈迦族から、民族を捨て、出家して、全人類の師となり成仏し、霊能力を説いてまわる仏陀となったわけなんである。

仏陀の時代の古代インドのヴェーダンダ、サンキヤ―、ヨガ哲学などはもはや形骸化し、単なるカースト身分制度となっていたために、霊能力の再生のために、仏教を興したわけなんだろう。

だから、仏教は、とにかく物欲や執着心を放棄するのを、民衆に教えたわけだが、現代人もそうだが、どうして地上の生活に幸福を求めてはいけないのか、現に物臭坊主などでさえも、古のホームレスの自給自足生活、質素倹約とは程遠い、高級車などに乗り、高級住居に居座っているではないか、という物質文明の恩恵の麻薬中毒に浸り切っている現実がある。現代人はすっかり悪魔の掌中にある。

霊の物質化の流れに逆らえない現実がある。だから、仏陀の教えは現代人には役に立たないどころか、かえって現仏教教団をみれば、地獄に堕ちる根拠を与えてしまっている。誰が霊を信じるだろうか?輪廻転生など戯言で、物質世界こそわが世の幸福だと謳歌する風潮が支配的で、冠婚葬祭に贅を尽くす。

仏陀の教えは現代人に殺されてしまったといえるだろう。金銭さえ支払えば成仏できると思い込んで悪魔に洗脳されている人間が横行し、渡る世間は鬼ばかりである。高僧ほど地獄に堕ちている現実を知るべきだろう。現代人には空海のように生きれない現実があり、未来を解き明かす霊能者は皆無である。

東洋人は、この現実を反省しないといけない、中東などは盛んに戦争しているが、戦争が生み出すのは互いへの憎しみでしかなく、それは悪魔の策略でしかない。地の現実に幸福はないのは、仏陀の時代から仏陀が霊能で解き明かしている人類の進化で、未来である。戦争を超えるモラル、道徳を確立しないと意味がない。対立を生み出す宗教など悪魔のものにすぎない。問題は、霊の物質化を食い止め、再度、物資化された霊を解放し、物質を再び霊化することにある。

それは民族や国家のような集団ではなく、個人としてなされるべきで、だからこそ、各個人には新しい宗教を自らで確立する使命を、この地球紀に負っている。シュタイナーは、そのような個人的信仰を糧としたパウロの信仰を題材にして、私の自我のなかのキリストを提唱している。つまり、私という、自我のなかには、エゴという権威主義の物質性の、悪魔が巣食っているが、この悪魔を退治し、純化するために、そして、そこに均衡とバランスをもたらすために、キリスト精神を導くのである。

キリスト精神を宿したマリアのように、心を純化し、人類愛により、物欲から個人を解放するのが、パウロの「私のなかのキリスト」の精神だと、シュタイナーは述べている。先の量子力学の観測論で譬えるなら、観測者のモラルにより、悪魔を退散させ、ψ(人と悪魔) ⇒ φ(キリスト)へと、物質界から自らを解放させる超感覚を獲得する方向に観測を導くことである。

つまり、波動関数を、モラルのある道徳律により、デコーレンスすれば、人も悪魔も、神に起因し、生と死も、カルマの法則により導かれているのがわかる。だから、シュレディンガーの猫は、シュタイナーのカルマ論により確率ではなく、確立される。猫の生死は、毒物の量子が決めるわけではなく、猫のそれまでの生き方や飼い主との関係、更には、宇宙の進化目的により左右されるわけで、猫が死ぬべきか、生き続けるべきかは、猫の自我を司っている、猫は動物なので、集合魂が決めることなので、観測者は、この集合魂を読み取れるべく、猫との愛の絆を育むべきなんである。

だから、猫を平和的に、人間の自我でもって感化させるべきなのである。ψ(生と死) ⇒ ψ(キリスト)とは、神はサイコロを振り給わず、神はカルマの愛をもたらす、となるだろう。神は何よりも宇宙を愛で満たすように、道徳とは、多様な生命体の共生共存の法則なのだから、生も死もなく、ただ愛を学び合うカルマがあり、そのために輪廻転生があり、民族により物質化された霊は、個人の道徳観から、再び霊化されるべきなんである。

この物質の再霊化、パウロの私のなかのキリストは、個人のこの地球紀での経験に依存している。前回も紹介したように、覚醒時の地球での経験は、睡眠時に反復され、審査される。その審査から、霊能力への道徳化が導かれる。いかに一日を道徳的に過ごすかで、そのヒトは霊能力を少しづつ獲得し、キリストを糧にして神に近づいていく。

量子力学の観測論には、キリストのモラル論が必要で、猫ではなく、人間の場合は、自我のモラルにより、自我の霊我への進化過程により、デコビーレンスされ、決定される。量子力学の観測論は、表向きには、量子場の理論により統合されたが、全てを唯物論の粒子で説明しようとする立場が、生命現象だけでなく、点粒子に、エネルギーを還元する数学の局所幾何学を用いた代数の群論で、無限大として破綻し発散するが、それを電子回路のように繰り込んで辻褄合わせているのが、悪魔の現代物質科学の顛末である。

場の量子論 - Wikipedia

しかし、面白いことに、点を紐でつなげることで、多世界解釈の平行宇宙論が、超弦理論の双対性で表向きに統合されてしまうところにある。この双対性は、Tデュアリティと呼ばれているが、これは物質と霊の世界の双対性をよく表現している。最も遠くを眺めると、例えば、宇宙の最果てをみようとすれば、観測者の内面に達するというような話なんである。

T-双対 - Wikipedia


時間に依存する運動は、時間のないところからしか観測できないため、物質界では、初期条件を求めることからはじまるが、これはどういうことかといえば、遠くを観測しようとすると、観測する基準に戻ってくる、という四次元の特徴が明らかになる。以前も紹介したと思うが、孫悟空とお釈迦さんのやり取りを思い出す。孫悟空は遠くまでに行ったと思ったが、実はお釈迦さんの掌の上だったという話である。

『西遊記』で、悟空はお釈迦様の手のひらから出られなかった。どんな手だ!?|空想科学研究所 (note.com)


結局、観測者の遠くとは、観測者の基準でしかないわけで、物質界の基準は、ローカルルールにすぎないというわけなんである。物質界を成り立たせているのは物質なので、その遠くに行くには、物質概念を捨てて、出ていくしかないわけで、物質界を超えるルールをみつける観測体系を確立しないと意味がないわけなんである。つまり、物質界の果ては、物質を捨てたところにあるわけで、仏教の色即是空なんである。

物質を再霊化するために、愛の超弦理論をもたらすために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

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 魂の奥底にある、「憧れ」を満たすのに、「心の変化」以上のものがあるのか?

 それはまた、「憧れ」をもつ存在たちが新しい存在たちを求め続けることからもわかる。「憧れ」による、耐え難い苦しみは、絶えず変化する、新しい存在たちとの関係から、次第に克服されていく。

 このように、「地球」が、「月」の状態で進化する間、運動霊が、もし来なければ、退屈という荒廃に陥った存在たちの生活に、変化(運動)を与え、新しい存在たちや環境との絶え間ない更新の、新鮮な関係をもたらしたのが霊視できる。

 現代人が考える、空間の移動は、いま述べている運動のなかの一側面に過ぎない。また別の運動、つまり、心の変化を経験するのは、例えば、朝起きて、夢の内容を、隠さずに、他の誰かに話すときなどである。このように、人間は、心の変化を経験し、多様な運動を通して、「憧れ」を徐々に克服していく。外的な物質性の、空間の運動は、変化の後付けに過ぎない。

 太陽に憧れる惑星を霊視してみる。もし、その惑星が、太陽との関係で、常に同じ位置で、全く動かなければ、その惑星は、憧れという一面に拘束されてしまう。その惑星は常に同じ面を太陽に向けて固定されてしまう。

 しかし、運動霊がやって来て、その惑星が太陽の周りを回転するように導き、位置に変化をもたらす。位置の変化は、心の変化に生じる影響に過ぎない。そして、運動霊が、位置の変化を宇宙にもたらすのは、心の動き(変化)という主現象からの、副産物なのである。

 運動霊が、運動と変化を、宇宙の進化に導入したことで、また別の存在が生まれた。つまり、宇宙の進化のなかに、運動霊(デュナミス)、人格霊(エクスシアイ)、叡智霊(キュリオテテス)、意志霊(トローネ)らがもたらした、それぞれ、供犠の熱や、叡智へと放射する流れの空間、与える徳による光などの精神的な要素に、物質的な要素が加わった。

 この物質的要素は、「憧れ」に変わった拒絶された供犠(意志)に付随して流れ、人間が「像」として感知するものとなる。その動き(心の変化)となった「像」は、覚醒意識には上らずに、まだ思考にはならない。この「像」は、夢を見るときのイメージによって最もよく視覚化できる。流動的で過ぎ去る夢の像のなかには、「憧れ」として生きる意志の存在、つまり、運動霊によって他の新しい関係へともたらされる存在などを生じさせるイメージを呼び起こす。

 新しい別の存在の前に立つとき、その存在に完全に帰依するのは不可能で、それは自分のなかに自我が生きているからである。しかし、代わりに、その存在が、夢の像のように、変化していく像を感知できる。このように、イメージの潮流とでも呼べる気配が魂のなかに生じる。

 言い換えれば、この月進化紀の間に、像の意識(霊的な潜在意識)が存在するようになった。そして、人間は、現在の地上的な自我の覚醒意識なしに、この進化紀を通過したので、今日の自我を通して、自分が到達できる、この像の潜在意識を欠きながら、思考しなくてはならない。当時の人間は、宇宙の進化のなかに存在し、織り込まれていたが、一方で、「憧れ」の経験に匹敵するような存在が、人間たちの心のなかに生きていた。

 ある意味、苦しみとは、地上に現れる物質的な欠乏の苦しみを度外視すれば、詩人が述べているように「憧れを知る者だけが苦しみを知る」に他ならないのが想像できる。魂の「憧れ」の表現としての苦しみや痛みが、人間の心のなかに、人間の進化と結びついた、他の存在たちと共に入り込んで来たのは、「月」の進化紀だった。

 それ以降、「動き(心の変化)」が入り込まなければ、「憧れ」に苛まれ、空虚だった自我が、次第に、治癒的な慰めに満たされるようになったが、それは運動霊の活動を通して、「憧れ」に苛まれる、月の存在たちのなかに注ぎ込まれた像という、夢見の潜在意識による、心の変化の形でなされた。

 もし、このような出来事が生じなかったら、「月」存在たちは、その魂の中に「憧れ」以外の何もない退屈で、空虚な存在となっただろう。しかし、像という慰めが、その孤独と空虚の中に滴り落ち、多様性で満たし、堕天使たちを、追放と非難から解放した。

 このような言葉を真剣に受け止めれば、地球が「月」の進化状態にあったときに、進化した存在の根底に精神として横たわる「憧れ」と、そして、いまも人間の意識の奥深くに、「地球」進化状態の下に、上層を成し、横たわる「心の変化」の両方が把握できる。

 しかし、それは、現代人には、あまりにも魂の奥深くに横たわるために、この事については、次回以降の公開講演(GA61)で、分かりやすく示すが、海底から上層へと押し寄せる海水が、海面に波を生じさせるように、気づかれることなく活動を始め、現代人の覚醒意識のなかへと気づかれることなく、現れて来る。覚醒時の自我意識の表層下に、表面へと押し寄せる、「憧れ」の波動が、現代人の、魂の奥深くに根ざし、生きている。





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Last updated  2024年04月26日 11時38分08秒
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