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シュタイナーから読み解く神秘学入門 [全1848件]

2012年5月25日楽天プロフィール Add to Google XML

シュタイナーの人智学的医術その642
[ 神秘体験空間 ]  

 ジャーナリストのケースは些細なことだが、いわゆる深刻なケース、つまり状況が臨界点を超え、病気に移行する場合こそ、精神医学分野にもあてはまる人間の魂の状態の観察のために、先入観のない洞察力を獲得する必要がある。

 その場合、魂の活動により、本質を遮蔽している表面に現れた症状に従って診断することはできない。愚鈍さと天才さの共存からもわかるように、表面ではなく、深いところにある本質に従って診断しなければならない。

 従って、魂の状態を観察する場合、錯誤に陥る可能性が究めて高い。なぜなら、例えば、魂の持ち主が、的確な意見を表明するかどうかは大した問題ではなく、的確な意見を表明する際に、必要以上に何度も繰り返す傾向があるかどうか、ということが大切だからである。

 (俗に大阪人は、発言を2度繰り返す、といわれるが、魂の観察に役立つ証拠なのかもしれない。)

 意見の表明の仕方が重要となる。意見を繰り返し何度も(規則的に)述べるのか、もしくは、意見を、好き勝手に(不規則に)述べるのか、などが、賢い意見なのか、愚かな意見なのか、の内容よりも、遙かに重要である。

 つまり、健康でありながら、愚鈍でありえる。病理的には愚鈍ではないが、生理的に愚鈍であるという意味である。

 意見表明の仕方のなかに、いわゆる精神病への本質があり、深刻な状況に陥らないためには、その人が、意見を好き勝手に不規則に述べるのか、それとも、繰り返し何度も規則的に述べる傾向にあるのか、ということに注意を払う必要がある。

 意見を何度も繰り返す人は、根本的に、肺の形成に不規則な素因をもっている。意見を好き勝手に放縦に述べる人は、肝臓の機能に異常な素因をもっている。これ以外は、この両者の中間に位置づけられる。

 以上のことは、日常の生活のなかに探求できる。例えば、いまだ少なくとも薬として用いられていない食品、もしくは嗜好品に対して、以前の公開講義のなかでも、ある程度触れたことがあるが、例えば、コーヒーは、魂の本質から現れる症状全体に、明確で、決定的作用を与えることがわかる。

 本当は、このような作用を取り上げるべきではない。というのも、このような作用に依存すると、魂を怠惰にさせるからである。しかし、実際、このような作用が存在していることは確かである。

 コーヒーを飲むことで、論理の欠如を補うことができる。つまり、コーヒーを飲むことで、実際に、生体から、論理力を多く引き出すような状態にできる。従って、思考に論理をもたせるために、ペン軸などを酷く齧(かじ)る必要はなく、コーヒーを沢山飲めばよい。

 コーヒーを沢山飲む、ジャーナリストたちの習慣は、現代の論理的な見解に見合った手段ともいえる。

 他方、逆に、紅茶を飲むことは、ペダンティックに(学識を振りまき)、大学教授風に、論理的思考を積み重ねていくことを妨げる。ペダンティックに、論理的思考を積み重ねていくと、極端な場合、才気に溢れた表現ができず、周囲に、自身の論理を一々披露する羽目に陥り、退屈させてしまう。

 例えば、条約や協定の締結などの旧来の体制から与えられてきた役割の職業に対して、内向的にならずに、できるだけ才気煥発なように、紅茶のような外的な嗜好品を飲むことが勧められてきた。

 コーヒーが良いジャーナリスト飲料であるように,紅茶は、外交官に効果のある飲料である。ふと現れてくる思考によって、才気渙発であるように見せかけることができ、そのような鋭い思考をする習慣が、紅茶によって本質的に促進される。

 以上のような事実を知ることが重要である。というのも、このような事実を正しく評価することを学び、魂が、必要な道徳的な状態を備えていれば、当然、日常生活の道徳として、食餌療法とは別の形で奨励されるようになるからである。

 自然の関係を学ぶためには、ジャーナリストの例からわかるような、文化の関係が重要なのと同様に、上述した嗜好品による魂の状態などが究めて重要である。

 例えば、ロシアでは、通常、砂糖の摂取が非常に少ないこと(1920年)や、対照的に、西欧世界、イギリスでは砂糖の摂取が非常に多い、といった事実に目を向けてみればよい。

 この事実から、魂の(表面的な)発展によって、状態が凍結(麻痺)していない場所では、端的に、人間に与えられている本質が、日常生活のなかに明確に現れていることがわかる。

 つまり、外界に帰依することにより、自らを表出するロシア人の場合、自我の感情に乏しく、せいぜい自我の感情は理論的に補完されるだけで、このことが砂糖の摂取量の少なさと関係するが、対照的に、強い自我の感情を持つイギリス人の場合、器官組織として基盤をもち、この器官組織が、砂糖への強い嗜好と関係する。

 しかしながら、特に、砂糖の摂取という事実よりは、魂の内面的な衝動を洞察する必要がある。なぜなら、砂糖の摂取という事実も、魂の内面的な衝動から、憧れとして生じてくるからである。

 さて、いわゆる精神病、もしくは、心魂病という症状の真の原因は、本質的に、人間の下部の器官組織のなかに探究すべきことを考慮するなら、人間に関する相互作用が示され、これは、病理-治療が問題になるとき、見過ごしてはならないものである。

 単純に下部組織と上部組織と呼んだ両者の間の相互作用は、病理的にも、治療的にも、常に考慮に入れるべきで、さもないと、病気に対して作用させるべき外的な影響を、どうやって病気に作用させるのか、正しい見解を獲得できない。

 病気に対して、足や頭を通じて、熱の影響を与えるのか、水の影響を与えるのかでは、大きな違いが生じる。このような事柄に対して、下部と上部との間で機能する相互作用の大きな違いに注意しなければ、治療原理(ラツィオ)は獲得できない。

 これからも、この新しい分野、すなわち、人間に対する外的な影響について、できる限り述べていく。


最終更新日時 2012年5月25日 10時26分47秒
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2012年5月24日

シュタイナーの人智学的医術その641
[ 神秘体験空間 ]  

 大切なのは、薬の生体内と生体外での作用の相違などを見通すことである。健全な考察(合理的な思考)を通じて、精神医学に対しても、洞察力を鋭くしておかなければ、内と外の相違などを見通すことはできない。

 思い切った表現をするなら、人智学者[Geisteswissenschaftter]は、単なる「精神病」という言葉を聞いただけで苛立ちを覚える。

 というのも、精神(霊、[Geist])とは、常に健康で、本質的に病むことなどないから、精神病(精神の病)[Geisteskrankheit]という言葉を用いるのは根本的に間違っているからである。精神の病などを語るのは、本来、無意味である。

 (自我「霊」、アストラル体「魂」、エーテル体「幽」、肉体の4つの体のバランスが悪いと、病気になるわけで、霊「自我」自体が、病むことなどはない。)

 精神自らの発現能力が、物質的な生体組織に妨げられることはあっても、決して霊や魂が病むことはない。病気は全て、精神の発現能力と物質的な生体組織の妨害などにより生じる単なる症状にすぎない。

 けれども個々の具体的な症状に対する洞察力も鋭くする必要がある。例えば、「宗教的な狂気(妄想性人格障害)」やそれに類する症状に対して、精神医学分野での病名のつけ方は、非常に混乱を呼ぶもので、正確とはいえないが、現代人にわかるように話すには、やはり、このような病名を用いざるを得ない。

 (現代でいう統合失調症など。)

 「宗教的な狂気(妄想性人格障害)」の最初の萌芽、もしくは、更にそれが進行した症状が顕在化していくのに気づくことが重要となる。

 いわゆる精神病全般は、単なる症状にすぎないが、精神病にみえる症状が顕在化する場合に大切なのは、このような顕在化の経過全体に対して1つの病像が獲得できることにある。

 そして、更に、このような病像を得たなら、例えば、この病像を示す人間の肺の経過に、何らかの異常を見通すこと、呼吸の経過ではなく、肺の新陳代謝の異常を正確に見通すことが必要となる。

 というのも、精神の病と同様に、脳の病[Gehirnkrankheit]という表現も、本質的には正しいとはいえないからである。「精神病」という表現を完全な間違いとするなら、「脳病」という表現は、半分間違っている。脳の変性も、二次(副次)的な症状だからである。

 俗にいう精神病といわれる病気の根本的な病因は、人間の上部組織のなかには決して存在せず、常に下部組織のなかで起こる。根本的な病因は、本質的には常に、肝臓、腎臓、心臓、肺という4つの器官組織のなかにある。

 外の生活への関心を失い、内的に思い悩み、妄想に囚われる、というような狂気(妄想)への傾向を持つ人の場合、何よりも重要なことは、背後に隠れている肺の状態に対して気づくことにある。

 (妄想⇒胸の疾患、例えば、思想家の多くは、胸の疾患で死んでいる。例えば、王陽明の結核の死など。)
 
 同様に、我儘や頑固さ、独善と呼べるような、いわば固定的な考え方、固定観念に凝り固まった人の場合、当人の肝臓の状態の調査へと導くことが重要になる。

 なぜなら、固定観念は、内的な化学機構が正しく作用していない結果として現れるからである。例えば、俗に脳の軟化と呼ばれている症状(痴呆、統合失調症)ですら、二次(副次)的である。いわゆる精神病の場合、観察が容易でないことが多々あるにしても、主因は、器官組織にある。

 (例えば、アルツハイマーの老人斑はアミロイドベータと呼ばれる蛋白質の変成で生じるが、二次的で、本質は、内的な化学機構にあり、例えば、肝臓などの新陳代謝の問題と考えられる。)

 主因が器官組織にあるため、精神的な治療処置を通じて対処できることはほとんどなく、むしろ、器官の疾病に対する治療処置を講じることを認めなければならない。逆にむしろ、いわゆる「精神病」よりも実際、通常の器官の疾病として現れる方が、(ストレスの軽減などの)精神的な治療処置を通じて成果を挙げることができる。

 精神病を、薬剤で治療する習慣を身につけていく必要があり、精神病の主因が、下部組織にあることが本質である。そして、これは、外(唯物)的な医学が、人智学の方向に沿った治療法を探求するのに必要な新しい分野に他ならない。

 この分野のなかで、正しい観察を行うには、根本から本質的に洞察力を鍛える必要がある。というのも、いわゆる精神病として現れる症状は、しばしば暗示として現れるだけで、途方もなく多様なので、実際、徐々に、正しい観察法を獲得していかざるを得ないからである。

 以上のことを1つの実例を挙げて解説する。人間の能力に関して、この能力とは、実際に、霊の道具となる、肉体的な意味での肉体的な能力全般を意味するが、その能力は、単純ではなく、非常に複雑に現れるからである。

 奇妙なことに、頭が弱く、愚鈍[schwachsinnig]にみえるような特性を備えながら、逆に才気に溢れ、天才的な創作を行うこともあり得る。このような一見すると、真逆の能力が存在するのは、愚鈍さによって、暗示に罹り易く、周囲の隠れた影響を、容易に自らのなかに反映できる、という理由による。

 (オカルトでいう、憑依、霊媒体質のことで、霊媒体質は、愚鈍さにあるから、第三者的な助言者が必要なので、審神者「サニワ」が必要となる。)

 この理由については、例えば、文化-病理学的な興味深い観察ができる。勿論、このような観察の成果として、個人名を挙げる必要はなく、個人名を伏せると、信憑性がある程度乏しくなるかもしれないが、やはり、個人名は伏せる。

 特に、ジャーナリズムにおいて、奇妙な現象が起こっている。本質的に、愚鈍な頭脳の持ち主が、良いジャーナリストになれる。それは愚鈍さにより、自分の意見ではなく、その時代の意見を提示できるからである。

 つまり、その時代の意見が、愚鈍な人を通じて反映されるので、例えば、愚鈍なジャーナリストの記事は、知性鋭い[starksinng] 自分の見解を表明するジャーナリストの記事よりも遙かに興味深い。

 (現代の日本でもマスコミは適度に馬鹿なので、官僚の主張をそのまま垂れ流している。もっと馬鹿になれば、時代を反映する意見を提示できるのに、マスコミ社会での地位に執着するために、中途半端な馬鹿に止まっている。いまのマスコミは、政府の広報で、官僚の御用聞きである。江戸時代の立て札と同じ。)

 自分の意見を絶えず作り出そうとする知性鋭いジャーナリストよりも、愚鈍なジャーナリストの方が、社会全体の意見に通じる。

 (日本は、知性鋭いジャーナリストの官僚の意見ばかりしか聞かないから、益々駄目になる。駄目になるとは、先行きを見通すことができなくなるという意味である。社会の底辺に存在するようなホームレスなどの意見の方が、時代を反映する。

 評論家の意見が正しかったことなど皆無である。検証すればわかる。特に昨今酷いのが、統計を用いた情報工作である。統計を用いて情報を誘導している。)

 ジャーナリストは、極端なケースだが、人生のなかでは、頻繁に起こる現象である。愚鈍という本質に対する強度の遮蔽とも呼べる真逆の能力が現れてくる。最初は、天才的とさえ言える能力が現れてくるために、その根底にある愚鈍さに気づかない。

 (カリスマ性などは、この現象を良く現わしている。俗に、一発屋というのも同じで、愚鈍さが根底にあるものと思われる。当人は、その愚鈍さ故に、なぜ人気になっているのかわからないはずである。)

 当然のことながら、通常の日常生活においては、この現象は些細なもので、記者の愚鈍さにより新聞が書かれていても、結果として、時代を反映した良い意見をもたらすのなら、害がないからである。

 (例えば、報道はできるだけ私見が混じらないほうがよい。また、洗脳するには、愚鈍さを誘導することにある。)


最終更新日時 2012年5月24日 10時45分39秒
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2012年5月23日

シュタイナーの人智学的医術その640
[ 神秘体験空間 ]  

 これまで述べてきたヤドリギの作用が事実であることがいずれ立証されるだろう。そのときには、ヤドリギを用いるよりも、方法論的に先に進んでいる必要がある。

 というのも、以前述べたように、実際、樹の幹は、本質的には土の瘤で、瘤のなかに植物が含まれているので、樹が生えるわけで、いわば小さな丘といえる。

 さて、植物を含む土の瘤の幹に、ヤドリギが生えると、このヤドリギは樹の上でくつろぎ、地面とは逆の方向に根を下ろすことになる。このヤドリギの気違い染みた貴族主義を身につけながらも、ボヘミアン的な寄生生活の特性はもたない植物で実験すれば、ヤドリギと同じような作用が期待できる。

 例えば、冬の植物に対して、人間の生体組織を健常に導く方向性とは逆の病的な方向性に沿って調べると、冬に開花するのが相応しいと認められる異常な成長力をもつ植物は、ヤドリギと同様な作用を持つことが予測できる。ただし、この一連の実験を、例えば、ヘレボルス・ニゲール[Helleborus niger]のクリストブルーメ[Christblume](クリスマスローズ)といった植物にまで広げていく必要がある。

 ヘレボルス
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B9

 クリスマスローズ
 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA/

 実際に、ヤドリギと同様の作用を、クリスマスローズから獲得できることがわかる。ただ、少なくとも、この講義の冒頭の導入部で述べた特徴のように、陰陽、つまり、女性と男性で全く反対に出ることも考慮に入れる必要がある。

 腫瘍形成に対して、女性の場合、クリスマスローズでは、反作用はほとんど得られないが、男性の場合、顕著な反作用が得られる。

 ただし、ヤドリギの反作用と同様に、生体内で比較的高い反作用が誘起されるように、投与できた場合に限られる(ホメオパシーの原理により、免疫を強化できた場合)。

 (日本では、ウコンが有名である。植物に詳しくないので、詳細はわからないが、ウコンも、春と秋だけに繁殖する独特な植物のようである。)

 上記のような探求に際し、次のような関係を考慮に入れる必要がある。

 「冬に繁茂する植物なのか、夏に繁茂する植物なのか、また、その植物の働きは、ヤドリギのような成長力から得られるのか、もしくはヤドリギの成長力よりは、地面に向かう傾向から得られるのか」というようなことである。

 ヤドリギは地を好まず、黒ヘレボルス[Schwarze Nieswurz]やクリスマスローズは地に接近することを好むので、以前述べたように、どちらかといえば、男性的な作用に親和性をもつ。男性的な作用は、地上の作用に親和性がある。

 他方、女性的な作用は、地球外の作用に親和性を持っている。このような事実を広く考慮する必要がある。つまり、自然の経過に対する(霊的な)洞察力を獲得することが特に重要となる。

 だからこそ、外界からくる様々な作用の特徴を述べ示し、「ボヘミアン、貴族、狂気」などの道徳的な観念を用いて解釈した。このような道徳的な観念は、実際、適切な表現となり得るので、よく用いている。

 さて、道徳的な観念の獲得から、薬の体外と体内の働きの間にある特徴的な相違も明らかになってくる。しかし、外と内の違いを考察する前に、道徳に導く正しい観念を洞察しないといけない。

 現在(1920年)出現する新種の病気に対する治療法の獲得のために研究すべき事項は、以前既に暗示したが、例えば、植物の炭を比較的長期間メタンのなかに置き、曝しておくことで、充分にメタンを植物の炭に浸透させてから、軟膏として擦り込むなどである。

 メタンに浸透させることで、軟膏などとして生体外からの働きかけが獲得できる。特に、生体外からの作用を促進できる物質を用いて擦り込むとよい。このような技術的方法を見つけることが大切である。例えば、滑石土[Talk-Erde](タルク、苦土)などを用いる技術的な方法をみつけて、軟膏として擦り込むと、生体外からの働きかけが得られる。

 メタン
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%B3

 滑石
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E7%9F%B3

 マグネシウム
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0


最終更新日時 2012年5月23日 15時6分52秒
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2012年5月18日

シュタイナーの人智学的医術その639
[ 神秘体験空間 ]  

 ヤドリギの形成を、自然の活動に照らしあわせて観察すれば、次のような酷い表現が浮かぶ。

 「自然の活動と比較すると、ヤドリギの成長は、気が狂っているとしか思えない、全てが時期はずれだ!」

 ヤドリギ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AE

 しかしながら、人間の生体組織が、物質的に、ヤドリギのように気が狂い、例えば、癌腫などの形成として現れた場合、逆に、このヤドリギの狂った成長力が有用となる。このような関係に対する理解力を育てていくことが、重要となる。

 さて、腫瘍形成の際、ヤドリギを、生体内で希釈(中和;無毒化)して、外科医のメスの代わりとなる、治療薬にすべきである。ただし、ヤドリギの実を薬にするには、特に他の作用と関連づけて、完全に正しく扱えるようになることが重要となる。

 また、ヤドリギが、「気が狂っている」証拠として、他に例えば、次のようなことも考えられる。

 ヤドリギという種の存続、つまり受粉が、特に、鳥の移動を頼みにし、鳥の飛行と結びついている点である。つまり、鳥が、ヤドリギの実を、樹から樹へと絶えまなく運ばなければ、ヤドリギは死滅してしまう。

 奇妙なことに、ヤドリギの受粉は、鳥の体内を通過する方法を選択するため、ヤドリギの実は、まず鳥の体内に摂取され、排泄されてから、別の樹の上に新しい芽を出す。この事実は、ヤドリギの生命環全体を観察すれば、わかる。

 更に、特にヤドリギの膠(にかわ)質[Leimsubstanz]に含まれる作用を、他の作用と正しく関係づけ、塗布剤などとして、物質作用(増殖能)に対する、ヤドリギの反作用のポテンシャル(潜在力)[Potenzierung]を、生体内で徐々に高めていくことが重要となる。

 花と葉っぱ:ヤドリギ
 http://borancha.exblog.jp/15410683/

 更に重要なことは、後に述べていくが、ヤドリギの生える場所、つまり生える樹によって、どの特定の器官に対して、反作用を高められるか、などを特定していく必要がある。

 また、ヤドリギの膠質に含まれる作用を、別の植物に含まれる金属などと融合し、共同作用を誘起する薬をつくることなども重要となる。例えば、リンゴの樹に生えるヤドリギに、銀塩(銀の化合物)を擦り込むことで、共同作用を誘起し、下腹部の癌腫に抵抗する反作用を生じさせることができる。

 『ヤドリギ
最近のハーブ図鑑の記述によると、ヤドリギ(学名 Viscum album)には、蛋白質合成、免疫機構、循環器系、心臓に作用する成分も含むという。内服、外用ともに用いられるが、特に茎と葉はそのまま食すると有毒なので注意が必要。ツンとする、苦甘い、加温性のハーブで、血圧降下、免疫機構を刺激し、心拍低下、鎮痙、鎮静、利尿、抗癌作用があるという。

 北欧神話では、オーディンの息子、光の神バルドルは、ロキの計略により、ヤドリギの矢で殺されるが、後に再生する。ヤドリギはまた、ドルイド教で重視され、新年の祝いに関連がある。このヤドリギは特別な月相のとき、金の鎌で樫の樹だけから採られた。』

 さて、ヤドリギを、癌の治療薬として用いるのに慎重にならざるを得ないのは、人智学の研究から、癌の治療薬として、正しく、確かで明らかな根拠が挙げられるが、実際の治療を始める場合、治療薬の有効性が、ヤドリギの実の臨床上の加工技術に完全に依存するため、ヤドリギから、生体内で、根本的に反作用を誘起するための加工技術に対する臨床知識に乏しいからである。

 勿論、人智学から得られる知見は、現代の医師たちの下でも、大いに根拠をもつので、実際に、臨床過程(プロセス)を積み重ね、絶えず共同で治療法を探求していけば、ヤドリギの効果が、生体内で有効に働くことが可能になるだろう。

 しかし、人智学から得られる知見を実践するのに有用な臨床的技術の壁が、人智学と医学との関係を困難にしている。というのも、人智学の探求と、医学上の臨床的な観察とが、今日の社会慣行では、いまだに、全くまとまりがなく、混乱しているからである。

 しかし、上述の内容から、人智学と医学の両者が互いに結びつけば、本質的にうまくいく見通しがたつことがわかる。

 つまり大切なことは、両者が互いに結びつく方向に向かって、実際に経験を蓄積することにある。というのも、少なくとも、外(物質)的な臨床報告などの検証以外に、人智学的な知見の有用性や、従来とは異なった観点を、現代の人々に与えることができないからである。現代の多くの人々が、必要とするのは、内(精神)的な必然性というよりは外(物質)的な必然性だからである。


最終更新日時 2012年5月22日 10時15分52秒
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2012年5月17日

人智学による古代医術の解明その2の2
[ 神秘体験空間 ]  

 最後の「黄胆汁が多い人は気むずかしい気質を持つ」というのは、人智学の「胆汁質」のことで、例の以下のサイトから拝借すると、

 4つの気質
 http://www2.u-netsurf.ne.jp/~kazumixx/steiner-19.htm

 「胆汁質の人の目は非常に生き生きとしており、活発で、刺すような眼差しを見せています。顔の輪郭は非常に鋭く、引き締まっています。態度、言葉使いはとてもきちんとしていて、激しさがあります。体格は、筋肉質でがっしりしている人が多いです。

 感情は、愛憎が非常に激しくて怒りやすい感激家が多い。一方、非常に誠実です。

 思考活動について言えば、把握力が優れていて、物事をすばやく理解し、それに明瞭な概念づけを行うことを好みます。

 問題を曖昧にして残しておかないで、要するにこうなんだという結論を出したがる傾向があり、それだけにものの本質を把握する力に優れています。

 意志の点からいうと、非常に決断力に富んでいて、他人に対して影響力を行使しやすい。
その反面、他人に対して権力的な態度で臨みやすく、また、厳しい評価を他人に対して行いがちです。
 
 胆汁質は自我をとくに表にあらわす気質ですから、無意識と意識との間の葛藤が非常につよく、なにかというとすぐに真剣になってしまい、カッとなって血が騒いでしまいます。」

 一言でいうと、エネルギーが過多な傾向にある人なので、下手すると我儘で、支配的で、どことなく気難しさを感じさせる。


最終更新日時 2012年5月17日 14時17分15秒
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人智学による古代医術の解明その2の1
[ 神秘体験空間 ]  

 ヒポクラテスの「四体液」説が、あまりにも曲解されているので、続けて解説していく。

 人智学により、四体液が、それぞれ、自我、アストラル体、エーテル体、肉(物質)体に置き換えられることを漠然と前回述べた。

 つまり、人間は、その4つの要素により構築されている。この4つの要素を、アリストテレスの、火、風、水、土の4元素に帰することもできる。

 ただし、現代人は、直観が働かないという意味でも、霊的に「馬鹿」なので、火、風、水、土といっても、古代人を馬鹿にすることに馴れているので、ピンとこないだろう。本当は、現代人の方が現代的思考に飼い馴らされているだけで、馬鹿なのである。

 そのことは、プラトンが、「最近の若者は…」といって非難した記録が残っていることからもわかる。人類は、どんどん馬鹿になってきている、というわけである。

 余談だが、プラトンが若者を非難している例から、現代人の若者批判を正当化するような発言があるが、現代人とプラトンを同列に置いていること自体が間違っている。立場の違いを考慮しないところに現代人の浅はかさがある。

 そのことはさておき、人智学から、「火」、「風」、「水」、「土」を、現代的思考に置き換えるなら、「エネルギー」、「気(体)化」、「液(体)化」、「固(体)化」となることがわかる。

 つまり、アリストテレスが述べた4大精霊とは、エネルギー、気化、液化、固化の働きのことなのである。現代科学でいうなら、相転移のことで、現代物理学でいうなら、保存量の対称性のことである。

 プラトンが、自分の学院の門に、「幾何学ができない者は、この門を通るなかれ」と掲げたのは、エネルギー、気化、液化、固化の働きを、直観として認識できない者は、哲学を理解できないという意味に解釈できる。

 従って、ヒポクラテスの四体液説は、エネルギー、気化、液化、固化の働きから、人間がつくられるということも説いている。

 現代的思考では、主に固化、場合によって液化の働きしか想定していない。液化となると、流体力学が必要で、線形解釈では不完全な形でしか解明できない。ましてや、気化、エネルギーなどは、非物質なので、実体がないから、仮想粒子などで、数理的に想定するしかない。エネルギーについては、馬鹿の1つ覚えの保存則しか記述できていない。

 非物質的現象を、古代人は、音(言葉)や霊などに解釈した。つまり、現代でいう、エネルギーや気化などの働きである。

 だから、現代人の唯物的思考からすれば、胡散臭いのは当然である。物質ではないからだ!

 つまり、物質的思考が進むほど、実体がわからなくなり、胡散臭くなるわけで、だから、四体液説などは、「秘密の、隠された」という意味のオカルトになる。

 しかし、物質的思考などなくとも、人間以外の動物は生きているわけで、微生物などは、遙かに人間よりも特異な能力を秘めている。逆に物質的思考のせいで、自然破壊が進んでいることは確かだろう。プルトニウム等の人工的な放射線源による放射線被曝の増加などは、その顕著な例である。

 つまり、生物的にいえば、人間において思考となった能力は、動物における特異な能力を失う代わりに獲得された。

 例えば、トカゲは尻尾を切られても再生するが、人間の手足は再生しない。しかし、人間は、手足を使って、再生的に思考できる。

 そして、人間以外の生物は、特異能力が活用できないと致命的だが、人間は、間違った思考をしても、致命的にはならない。人間では、動物の特異な能力が、間違う可能性をも広げた思考となった。

 では、動物と、人間はどこか違うのかといえば、動物の場合、エネルギー、気化、液化、固化の働きの選択性に乏しく、つまり自由度に乏しく、選択が限られる分、再生が、直接的に実行される。

 人間の場合は、様々な選択があり、自由があるので、再生が間接的になる。

 このような相違を、人智学では、主に、エーテル体の違いで説明している。例えば、トカゲの尻尾の再生などは、エーテル体と物質体の密接度が高いことを意味し、人間の場合、密接度が低い分、自由で、その再生力が思考などに使われる。

 人間の場合、再生力は思考に反映されるので、例えば、手足を失った場合、その人生ではなく、次の人生で、補完されるという。つまり、人間の場合、意識や人生経験に反映されるわけで、輪廻転生を考えない現代人には、さぞ胡散臭く思えるだろう。

 しかし、現代人のような思考をもつと、例えば、死は無だとすると、本当に、無になるから恐ろしい。現代人と違って、例えば、古代エジプト人は、輪廻転生を考えていたことが遺跡から明白にわかる。

 このことは、デカルトの「我思う。故に我有り」の本当の意味に通じる。

 さて、話が脱線気味なので、元に戻し、ヒポクラテスの「四体液」説を更に解説する。以下は、例のウイキペディアからの抜き書きだが、人智学から、気質との関係を解説する。

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この説においては、体液は人間の気質にも影響を与えるという。血液が多い人は楽天的、粘液が多い人は鈍重、黒胆汁が多い人は憂鬱(メランコリーの語源は黒胆汁である[3])、黄胆汁が多い人は気むずかしい気質を持つとする。
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 シュタイナーは、血液(自我)、黄胆汁(アストラル体)、粘液(エーテル体)、黒胆汁(肉体)のうちの密接な関係性のなかで、どれかが優先的になることで、主に4つの気質に分類できることを述べている。例えば、以下のサイトなどが参考になる。
 
 4つの気質
 http://www2.u-netsurf.ne.jp/~kazumixx/steiner-19.htm

 「血液が多い人は楽天的」というのは、人智学でいう、「多血質」のことで、上のサイトから拝借すると、

「多血質の人は血色がとてもよく、皮膚がきれいで、均整のとれた体格の持ち主が多いです。
多血質の人を後ろから見ると、踊るようにつま先立って歩いています。

 感情は刺激されやすく、快や不快、喜びや悲しみに敏感ですが、とくに楽しいことが大好きです。

 世の中のあらゆることに関心をもち、社交的です。心配事は好きではなく、ユーモアがあって明るい人柄です。なにかしようというと、よし、しようとすぐのってきます。が、すぐまたイヤになって、イチ抜けたというのも多血質です。

 出来上がった人格、自分で作り上げた人格というよりも生まれつきの子どものころからの性格が最後まで続いているようなところがあります。したがって、とても人好きもするし、感じのいい人が多いのですが、案外あてになりません。

 思考力の点では、思いつきも想像力も豊かですが、ものの考え方にはかなり遊びの部分がふくまれて、徹底的に突き詰める態度には不向きなのです。すぐに判断を下すのですが、それも熟慮の末ではないのです。

 意志の面では、持続力に欠けていて、中途で投げ出しがちです。自分をコントロールしにくく、印象に左右されやすいタイプです。

 多血質の人の性格というのが、アストラル体の特徴とまったく同じと言えます。変化するアストラル体がその人間の気質の中で中心の働きをすると多血質の人が生まれてきます。」

となり、この気質を、一言でいうと、黄胆汁の気化の働きが大きく、場当たり的な人といえるので、楽天的といえる。

 次に、「粘液が多い人は鈍重」というのは、「粘液質」のことで、同じように拝借すると、

「粘液質というのは、若いときは人生の上で厳しいことが多いですから、やせた人がいますが、40代50代になって太ってくる人の中に粘液質の人がわりと多いです。

 言葉使いや態度も、テンポがゆったりとしていて、活気がなく、むしろ、鈍重な感じがします。ゆったりと確実な歩き方をするので、歩いているところを見ても粘液質の人だとよくわかります。

 休むこと、食べること、眠ることが大好きで、感情は好き嫌いをあまり表にあらわしません。おおむね慎重な判断をします。カッとなることが少なくて、ばかげたことなどめったにしません。

 思考力があり、冷静で、計算の能力があって、ひとつのことを持続して考えることができます。待つことが得意なので、チャンスに恵まれやすいのです。なにかいい機会があると、それを逃さないというのは、粘液質の人の人生の知恵です。

 社会をリードする政治家や学者のなかに粘液質のタイプの人が多いのは、そういうところからきています。そういう人が道徳的な能力を身につけると、正義感がつよく、公正な態度を維持することができます。しかし、もし、そういう人が道徳的な感覚を持たないで大人になってしまうと、非常に冷血で残酷な態度をとることができます。

 意志の点からいうと、めったにやる気を起こさないで、楽な状態のなかに安住することが得意なのですが、一度、やる気を起こすと、大きなことを持続してやることができます。

 これは、エーテル体の特徴と似合っています。エーテル体の一般的な特徴のひとつは、感情の動きに左右されないで、記憶を保持する働きや新陳代謝・消化器系の働きをつかさどっています。粘液質の人は、自分のなかのエーテル体に非常に敏感ですから、自分の胃や腸が正常に活発に機能していると、とてもうれしいのです。それで食べたり眠ったりすることが好きなのです。」

となり、この気質を、一言でいうと、粘液の液化の働きが大きく、大きな河の流れのようなゆったりとした動きをもつので、鈍重といえる。 

 次の「黒胆汁が多い人は憂鬱」は、その性質通り「憂鬱質」のことで、同じく拝借すれば、

「憂鬱質の人の外見はとても冷静で内向的です。顔の輪郭ははっきりしていますが、やわらかい印象を与えます。態度と言葉使いはゆっくりしていて、慎重です。友達と話していて、なにかしようというと、多血質の人のように「よし、しよう」という言葉が出てこないで、「どうしてするんだ?」というところから始まります。

 感情は外の世界に対して客観的であり、一見、無関心のように見えます。しかし、その内部に深い世界を担っており、魂はとても深刻な姿をしています。深刻であるだけに、すぐに失望してしまったり、不満を抱いたり、苦悩に陥ったりしがちで、それ故非社交的で孤独で、ときには自殺を考えたりします。

 自分を含め、人間に対して容易に失望してしまうものですから、人間嫌いになるわけです。思考活動は活発で、とても探求心が強く、ものごとをそのまま受け取らないで、懐疑的な態度で接しようとし、それだけにとても注意力が発達しています。独創性に徹しており、想像力豊かですけれども、固定観念にとらわれがちです。

 意志の点から言うと、持続力がとてもありますが、生活態度においては単調になりやすいので、一緒に生活すると、とても退屈な場合も出てきます。

 地水火風の地の世界、肉体にとても結びついています。したがって、本質的に実在論者になりがちです。自分の行動やものの考え方が肉体の重みをともなって感じられるために、なにかしようと思うとすぐに自分の肉体の殻に閉ざされて、もがけばもがくほど、自分自身の限界をますます感じてしまいます。」

というように、一言でいうと、肉体が霊魂を束縛するぐらい強いわけで、憂鬱になりやすい。


最終更新日時 2012年5月25日 10時41分2秒
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2012年5月16日

人智学による古代医術の解明その1
[ 神秘体験空間 ]  

 ネット検索していると、古代医術に対しての間違った見解によく出くわすので、人智学的見解から、少しづつ修正していきたい。

 「癌腫」と「新生物」をネット検索していて、ウイキペディアの「悪性腫瘍」の説明のなかに、次のようなものをみつけた。

 悪性腫瘍
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E6%80%A7%E8%85%AB%E7%98%8D

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「古代ローマのガレノス(2~3世紀ごろ)は、がんは四体液のひとつの黒胆汁が過剰になると生じる、と考えた[6]。(ガレノスというのは1500年ころまでは、医学の領域で「権威」とされた人物である[6])。ガレノスの後継者のなかには、情欲にふけることや、禁欲や、憂鬱が原因だとする者もいた[6]。また同後継者には、ある種のがんが特定の家系に集中することに着目して、がんというのは遺伝的な病苦だ、と説明する者もいた[6]。」
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 この記述自体は間違いではないが、「四体液」を、唯物論に染まっている現代人は理解できないので、「黒胆汁」が、現代用語でいう「肉体」のことを意味することがわからない。

 つまり、「ガレノスは、『肉体』が過剰になると生じると考えた」という風に変換できる。「肉体が過剰になる」という表現は、現代人には理解困難だろうが、人智学の見解から、ガレノスの考えが明らかになる。

 人智学のがんに対する見解を簡単に述べると、「肉体、つまり物質体の、ある部位が、非直線的な、指数的に成長、増殖を遂げたために、エーテル体が、浸透できずに、塊のようになる」というものである。

 だから、「肉体が過剰になる」という表現は、物質的な機能が過剰になるという意味で、現代でいえば、「細胞の増殖が過剰になる」という意味になり、現代医学のがんに対する見解と一致する。

 現代の医者が言うことと同じことを、ガレノスは、古代の表現で述べているにすぎない。

 さて、「肉体が過剰になる」、つまり、現代でいう細胞の増殖が過剰になる原因については、ガレノスの後継者たちが、「情欲にふけることや、禁欲や、憂鬱…遺伝的な…」と様々に挙げているように、現代のがんに対する見解となんら変わりはない。

 確かに、古代よりも、物理的検査により、物質的な認識は進んだかもしれないが、この例をとってみても、古代の知識を生かしきれていない点で、むしろ、精神的な意味で退行しているといわざるを得ない。

 物質的認識が進んでも、金銭ばかりを消費するだけで、相変わらず、免疫という自然治癒力に依存している点で、がんの治療が古代よりも進んだわけではない。経済的に考えてみれば、非常に大掛かりな機械を導入するだけでも、治療費という点から、退行していることは事実だろう。

 このような物質的認識が進めれば、いずれ経済的に国家財政が破綻することは明らかで、例えば、米国のような資本主義の国では、金持ちだけしか物質的認識による医療の恩恵が受けられない、という差別が生じることがわかる。しかも、その物質的認識が必ずしも正しいとは限らないので、医療過誤が起こるわけである。

 さて、話を元に戻すと、そもそもヒポクラテスの「四体液」説を現代人が理解できていない点に問題がある。

 ヒポクラテスを崇拝し、権威化しておきながら、ヒポクラテスの考えが理解できないのでは、絵に描いた餅である。また理解できないで、崇拝するのは偶像崇拝でもある。

 そこで、ウイキペディアを山車に、「四体液説」を解説する。

 四体液説
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BD%93%E6%B6%B2%E8%AA%AC

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「エンペドクレスの四大元素説の影響を受けてヒポクラテスが著書『人間の自然性について』の中で人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁からできていると述べており[1]、これが主流の分類である。しかし『疾病について』の中では血液、粘液、胆汁、水、また『疾患について』で病気はすべて胆汁と粘液の作用であるとしており定まっていない。」
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 人智学を理解している人なら、「血液、黄胆汁、粘液、黒胆汁」が、それぞれ、「自我、アストラル体、エーテル体、肉(物質)体」であることがわかるだろう。

 宗教的にいうなら、それぞれ「霊、魂、幽、体(肉)」という用語になる。

 そして、「『疾病について』の中では血液、粘液、胆汁、水」の、「水」が何処からきたのか定かではないが、「『疾患について』で病気はすべて胆汁と粘液の作用である」という記述を、人智学で解釈するなら、「エーテル体や肉体と、アストラル体との間の不適切な作用から病気が生じる」という意味に解釈できる。 

 つまり、古代の病気の観点では、霊魂を根底にして解き明かしているので、現代の唯物的な、肉体と、物質的な機能だけの観点よりは、優れていたことがわかる。


最終更新日時 2012年5月17日 13時13分34秒
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