>>>熊本城復旧などに210億円を計上=政府決定
政府は熊本地震に対応する補正予算に盛り込んだ予備費のうち,210億円を地震で大きな被害を受けた熊本城や南阿蘇鉄道の復旧などにあてることになりました。
熊本地震に対応するための総額7780億円に上る今年度の補正予算では,事前に用途を定めず必要に応じて使える予備費として7000億円を計上しています。
政府はこのうち1613億円を,道路の復旧や中小企業の支援などにあてることを決めています。そのうちの210億円について具体的な予算配分を決めました。
◆210億円の内訳
地震で被災した熊本城の石垣や「東十八間櫓」,それに阿蘇神社の「楼門」など文化財の応急的な復旧の費用などに20億円を盛りこみました。
また,地震による土砂崩れで,全線で運転ができなくなっている「南阿蘇鉄道」のトンネルや橋の被害調査など公共施設の復旧費用に169億円。このほかに,被災した農作物の貯蔵施設の再建や修繕費用などに20億円をあてるとしています。
なお,政府は,今後も準備が整った事業について予備費から順次,必要な費用を計上して被災地の復旧を支援することにしています。
A drone operated by a Yomiuri Shimbun photographer films the severely damaged castle. [Released April 25]
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>>>熊本城藩主・細川様も地震恐れる-「危なくて本丸に居れない…」
熊本大文学部付属永青文庫研究センターの調べによると,細川家3代目の細川忠利(1586~1641)は,肥後入国の翌年に発生した地震を「危ない」と感じ, 熊本城の本丸から避難していた。
江戸時代の古記録を,藩がテーマごとにまとめた「部分御旧記[ぶわけごきゅうき]」によると,熊本城は寛永10(1633)年,地震と大雨で大きな被害を受けた。研究センターは地震や火事、落雷などについてまとめた「災変部」に着目。同年5月11日,忠利が家臣の狩野是斎[ぜさい]にあてて、以下のような書状を残して いる(研究センター訳)。
「熊本地震のことですが,少しずつ度々揺れていたけれども,今ほどは揺れも遠のいています。危なくて、庭のない本丸には居れません。本丸には,二畳敷(一間四方)程の庭もなく、四方が高石垣で、そのうえ櫓、天守が結構危ないのです」「江戸に参勤して、上様(徳川家 光)のお許しを得て,地震屋を備えた庭を造らなければ、本丸には居れません。このことを、柳生宗矩[やぎゅうむねのり]殿(家光側近)へ伝えるつもりで す」。
ほかの忠利の書状からは「本丸には居ようもなくて花畠屋敷に入っている」「二の丸に下って住んでいる」など藩主の“避難所”が判明。 「熊本城中、家ばかりで明地(空き地)がない」ともある。