てなわけで思い出したようにほぼ、一月すぎての更新記事。
ちなみに『馬 アジアを駆けた二千年展』は9月5日にて閉幕。
最終日までに出かける方向けの、こそっと記事でもございます。
さて、この我らが秋津島は細長い列島。
その列島において、馬というたいへん不思議な隣人はどんな役割を担ってきたのでありましょうか。
これがくものパンピーなりの好奇心でした。
なんせ馬さんといえば、ヒト科ナマモノの歴史において、常にたいへん重要な位置にあったのです。
輸送移動においてももちろんですが、近代になるまでで一番重要視されたのは戦争においてですな。
戦争とは悲惨かつ、愚かな行為であるのは間違いない一方、歴史においていつだって今後を左右してきた大事件であるのも事実です。
でも、島国の中では、他の地域よりも馬における移動移送兵站等々での重要性はどれくらいなんだろうか?
多少他国との事情とは異なるんじゃないだろうか?
馬と秋津島人との関わりは、なにか別の側面があったんではなかろうか?
そんなことを漠然と思いつつ、興味津々わくわくしつつ、でかけたのでございました。
で、前回、のっけから大喜びした古代馬の全身模型とか、化石だけでうほうほと喜んだお手軽くもです。
次に喜んだのが下のブツでした。

九州国立博物館提供画像-36 posted by (C)風々堂くも
馬甲冑の一部ですな。
はじめて実物をみれて、たいへんうれしいですっ。
ジツは寡聞にして、西洋における馬甲冑は知っていたものの、この島国にもちゃんと伝わり、使われていた時期があったというのを知らなかったくもなのです。
大陸製のものと、秋津島産のものがみっつ並んでましてね。
どれも同じ鋳型で作られたように似ています。
ま、じっさいもって進んだ文明を持つ大陸産のものを模倣したか、あるいはあちらの馬具職人がこちらへ渡来してくれたのかはさだかではありませんが。
それにしても、長い年月ですっかりさび付いてはいるものの、たいへん良くできた顔鎧ではなかろうか。
間違いなく当時の最先端技術ですよね。
戦争に付随する技術であるのが哀しいながらも、古来、様々な闘争が技術を磨く要因たるのもまた、事実でもあります。

九州国立博物館提供画像-43 posted by (C)風々堂くも

九州国立博物館提供画像-47 posted by (C)風々堂くも
こちら、お子さんに大人気、くもにだって大人気の、埴輪馬シリーズです。
よくみれば無表情に近い埴輪馬とて、それぞれ個性がでていて、眺めているだけでジツに楽しいのです。
埴輪馬は埴輪期でも特に後期に作られたのでございますな。
初期の埴輪は、円筒形のお供え器ばかりでして、後に色々なバリエーションがふえたのでございます、はい。
そして馬具、といえばきゅーはくでの、常設展示目玉のひとつであったものが今回特別展へ移動してまして。

九州国立博物館提供画像-51 posted by (C)風々堂くも
ええ、鐙ですね。
これ、風々堂で何度か記事にした宮地嶽神社で出土した豪華な黄金鐙です。
関連過去記事はこちらクリックで別窓開きますです。
↓
不動神社夏季大祭に参加してみました
そう、こちらで出土した沓鐙ですな。
地元民としてもたいへん豪華な品で、今回実物画像をきゅーはくスタッフのご好意にて貼り付けられる事、たいへん嬉しく思います。
あ。
処でですね。
この、島国における馬さんとの関わり方ですが、やはり独特な展開をみせたというのがこの特別展で判ったのでございます。
が、それについては次回にでも( ´-`)ノ←この期に及んでまだ引っ張る(笑)