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ラッコの映画生活

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2008.03.18
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カテゴリ:ヨーロッパ映画
O CONVENTO
Manoel de Oliveira
90min
(DISCASにてレンタル)

covento_0.jpg

この映画は現役世界最長老監督と言われるポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラの作品。先日見たブニュエル『昼顔』の後日談『夜顔』が97才の作品で、こちらは約10年前で86才頃の作品ということになるだろうか。映画の内容がどうのということではなく、その筆致というか雰囲気に、何かとても懐かしいものを感じた。イングマール・ベルイマンの1960年代の、やや前衛的な映画作りに近いものを感じたのだ。『ペルソナ』とか『狼の時刻』とか。人物の少ない濃密な室内劇で(映画だから室内劇と言っても屋外もある)、現実と夢や妄想が交錯する(この映画ではそれに魔術的要素も加わる)。『ペルソナ』にしても『狼の時間』や『鏡の中にある如く』もそうだけれど、閉ざされた狭い世界の中だけの物語で、外の世界とは隔絶されている。舞台上だけの世界である芝居に近いのかも知れない。人間心理を化学実験室で薬品混ぜたり、分離したり、そんな風に分析しているような感じでもある。兎に角見応えのある作品だった。

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映画は主人公の学者が舞台となるポルトガル山中の修道院に到着するところから始まるが、テロップで「この修道院に入る者は、見ざる、聞かざる、言わざるべし」と出る。これは物語が「映画の世界だけのものなのだよ」と言う表明とも受け取れる。この映画は全編通して、すべて固定カメラだ。トラベリング(撮影しながらのカメラ位置の移動)も、ズーミングも焦点移動もない。そういう1カット、1カットの積み重ねで出来上がっている。映画が映画だけの世界ならば、その各1カットのフレーム(スクリーンに我々観客が見る四角い枠内の画面)内だけがその時々の世界全体でもある。例えばAとB二人の人物が写っている画面に歩いて近付いてきたCが画面に入ってそこで立ち止まる。次にAが歩き出して画面の外に外れBとCが画面に残る。Cが画面に入ってくる前Cは何処にいたのか。何をしていたのか。どういう様子でABに近付いてきたのか。それとも画面から外れていただけで最初からAとBの傍らにいて二人の会話に立ち会っていたのか。画面から外れたAは何処かへ行ってしまったのか、それともまだすぐ横にいるのか。そういうことはいっさい示されないか曖昧だ。一見不親切な(非説明的な)描写であるけれど、Cの存在がAとBにもたらす心理効果、Aが去ったこと、あるいはまだ傍らに存在することのBやCに対する心理効果、そういう3人の心理の駆引きの緊張感の中に観客を置く。

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この映画、オリヴェイラ監督がゲーテの『ファウスト』を下敷きにしたと解説などにあるのだけれど、ポルトガルの女性作家アグスティナ・ベサ=ルイスの『As Terras do risco』(=The Land of the Risk)という小説を原作としている。また映画の原題の意味は「修道院」だ。ポルトガルの(廃?)修道院にある古文書を調べるためにアメリカ人(たぶん)の学者マイケル(ジョン・マルコヴィッチ)がフランス人の妻エレーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)とやってくる。マイケルはシェイクスピアが本当はイギリス人ではなく、スペイン系のユダヤ人で、異端審問を逃れてポルトガルからフィレンツェ経由でイギリスに渡ったという仮説を裏付ける古文書を探しているのだ。マイケルとエレーヌを迎えたのは修道院の管理人バルタール(ルイス=ミゲル・シントラ)だったが、古文書の司書として雇っている若く美しい清らかな女性ピエダーデ(レオノール・シルヴェイラ)を、研究の協力者としてマイケルにあてがう。しかしそれはエレーヌに一目惚れしたバルタールがマイケル/エレーヌの夫婦仲を裂こうという策略だった。

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バルタールはメフィストフェレスとしてマイケルに知識(ここではシェイクスピアの秘密を解明すること)による男の願望である永遠の生を得ることに誘惑する。一方エレーヌには(ちなみにフランス語のエレーヌは古代ギリシアのヘレナのことであり、ゲーテの『ファウスト』の素材でもある)実は悪魔ルシファー信仰の巣窟であったこの修道院の隠された秘密を跡を見せ、彼女への愛を告白する。エレーヌの提示した条件は夫マイケルとピエダーデの二人の愛を成就させないことであり、そのために森の本能の穴に彼女を誘い込むことだった。到着した直後に修道院を案内されたエレーヌは、丘の山頂にある記憶の聖母の礼拝堂で悪魔の啓示を受けていたのか。清純の象徴であり神を志向するピエダーデの魂の堕落と抹殺が彼女の出した条件であるわけだ。こうした4人の緊張した心理劇が繰り広げられる。光だ闇だ、神だ悪魔だ、という設定で哲学的ことも語られる背景はあるが、つまるところは心理が濃密に描かれた男2人と女2人の愛憎のドラマだ。悪魔たるバルタールがすべてを操っているようで、実はエレーヌ(とピエダーデも)という女性が2人の男を手玉に取っているのがオリヴェイラの女性観か?。

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Last updated  2014.10.18 19:48:33
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