失ったものと得たもの
失ったもの母親(47年前、死別)学資のスポンサーの兄(43年前、死別)父親(40年前、死別)高収入(脱サラで)家(29年前、転職で)姪(27年前、死別)義兄(24年前、死別)親友(23年前、死別)恩師(22年前、死別)名誉(22年前、酒で)長男(20年前。死別)次女(4年前、死別)仕事(2年前、酒で)運転免許書と車(1年前、酒で)仕事(今年、酒で)得たもの恋人(今の妻)(40年前)高学歴(42年前)高給(40年前)家業(40年前)運転免許(38年前)妻(39年前)長女(38年前)4人の姉達との絆(37年前)長男(36年前)親戚達との絆(35年前)魂の救い(35年前)次女(34年前)次男(29年前)牧師の資格と牧師職(29年前)放課後学童クラブの職(23年前)この世的な人生の師匠(22年前)長男の高額な生命保険金(20年前)カウンセラーの国家資格(17年前)青少年育成アドヴァイザーの資格(15年前)青少年育成アドヴァイザーの会の茨城支部の幹事の地位(13年前)シングルマザーだった次女の孫娘(11年前) 人生はプラスマイナスゼロで終わると言われています。それは本当だろうと思っています。 ぼくの場合は、まだプラスが多いので、まだまだマイナスの事が起こるのでしょう。 現時点で予測できる事は、 妻の死、 次男の死、 孫の死、 です。 ぼくは生まれた時から問題児でしたらしいですから、今後の展開も問題だらけでしょうね。 未熟児で生まれたぼくを育てた長女も次女もまだ生きていますから、そこに少しの希望が残されているかもしれません。 恐らく、ぼくの生育暦からすれば、ぼくが重篤な人格障害者であっても不思議はないのですが、そうでもないという事は、何を意味しているのでしょうか? それは、恐らく、神様の御意なのでしょうね? そんな事は解りません。