テーマ:今日のこと★☆(104013)
カテゴリ:音楽三昧
今日は魂が抜けたような放心状態に陥った。ニュースの文字に纏綿しがたい別れを痛切に感じた。あぁというため息と、自分を落ち着かせようとしている深呼吸にも似た仕草に我ながら呆然とした。昨日、私が最も尊敬してやまないピアニスト兼作曲家・深町純が死去した。自宅で倒れ、帰らぬ人となった。あまりにもあまりにも唐突で、どうしてよいか分からなくなるようなショックを受けている。
私が知りえる深町純を紹介すると、文化多芸に長け、あまりにも偉大なる音楽家だ。彼の生み出す音楽、その根源はまるで無限大に広がるスペース・ミュージアムだ。人間が持つ、持っている表現能力、そのイマジネーションは、かくして之ほどまでに広く大きく深く美しいものなのか。そう感じる音楽を常に彼は創り出した。それは言語では言い表わせない特別な世界だ。個性は千差万別それぞれにあるものの、深町純の醸し出す音楽世界は天下一品唯一無二の音楽ワールドだった。 仕事柄、彼のアルバムの中で2枚ほどライナーを書かせてもらった。その中にも同じような印象とその音楽性について書いた。それが縁で数年前に初の楽譜に書き留めた深町の交響的詩曲のような大作を聴くことが出来た。実に一時間くらいの大曲だった。彼が唯一楽譜を見ながら弾いたのもそれが最後だったろう。そのライブを聴きながら、驚異的なピアノの美しさとメロディの美しさに唖然としたのを昨日のように覚えている。CDは再生芸術だから、生の音はたぶん違うだろうと思っていたが、ベーゼンドルファーのピアノから出てきた音は、CDそのものの響きと変わらない透明度だった。それもすべての曲は即興演奏。あのときの深町純のタキシード姿、世の中にこれほど美しいピアノの響きがあるのかしらんとつくづく思った。どう考えても世界に2人として存在しない美しいピアノの響きを醸し出す演奏であった。それが....もう二度と聴くことは出来ないという悲しみ、否それを通り越した辛さである。 深町純、彼は幼少3歳よりピアノを習い始め(ちゃんと練習しているかと母親が見に来るので、彼は楽譜の前に読みたい本を置いてピアノを弾いていたらしいです)、高校時代にはオペラの指揮や演出も手がけた。 東京芸術大学作曲科を卒業の直前に中退し(卒業10日前くらいに自ら退学している)、1971年のデビュー以来、独自の音楽観と確かな音楽センス、巧みなテクニックに支えられ、日本の音楽シーンを担ってきた。アーティストのアルバム制作のみならず、ミュージカル、ドラマ、映画、CMの音楽制作まで幅広く活動。近年では小柳ゆき、Baby Booなど若手アーティストのサポートも行った。 商業的音楽活動の一方、「自分の作りたい音楽」へアプローチするため、自身のアルバム制作、バンド活動も精力的に行う。75年結成の「深町 純&21stセンチュリーバンド」(大村憲司、村上ポンタ秀一、小原礼)をはじめとして、さまざまなミュージシャンとセッションを行う。なかでも80年結成の「KEEP」(和田アキラ、山木秀夫、富倉安生)は、その衝撃的な音作りで日本のフュージョンシーンに一石を投じた。 70年代後半には、スティーブ・ガッドやブレッカーブラザーズ、マイク・マイニエリなど、ニューヨークのスタジオミュージシャン達と交流を深め、幾つかのオリジナルアルバムを制作。代表作として「On The Move」がある。この時期、彼らを日本に招き、ライブ公演を開催。アルバム「深町 純&ニューヨークオールスターズ/ライブ」は2002に再発され、年月を経ても新鮮な音楽として、今なお受け入れられている。 1989年に洗足学園大学音楽部教授に就任し、日本初のシンセサイザー専攻科を設立。同時に音楽と科学技術の融合を目指した研究機関「音楽工学研究所」を設立、所長を兼任した。この時期は音響学会へ論文を書き、科学技術の場の中での音楽が、「音楽」として健全に扱われていないことを指摘した。それに伴って自身の音楽活動は休止。96年に退職し、新たな活動を開始する。 近年のライブ活動は即興のピアノ演奏とバンド活動。日本が世界に誇れる「日本の音楽」の創造を目指して、真摯な演奏活動を続けている。フレキシブルな発想と繊細な感性から作り出される音楽は、彼独自のものであり、他の追随を許さない。定期的な即興ソロライブでは新しいファンを取り込んで、枠にとらわれない伸びやかな活動を続けている。ここ数年は毎年ロンドンとパリでの演奏も始めている。 もちろんサポート・ミュージシャンとしての仕事、歌手の伴奏やソリストやバンドとの共演、作編曲の仕事も請け負っています。CMやドラマ、芝居や映画の音楽、ミュージカルや合唱曲など、何でも引き受けます。 またバンド活動としては、 和田アキラ (EG) vs 深町純 (Keyb)での「DUO」、 堀越彰 (Dr) と渡辺剛 (Vln) と三人で「The Will」、 不定期ではありますがが「僕らのしぜん」というバンドを、 深町純 (Piano.Vocal)、佐藤正治 (Persc.Vo.Dr)、中西敏博 (Vln.Toys)で、 やっています。 近年の主なアルバム 「variation of variation」'96 ・「Midnight Dive」'98 ・ 「Civilization」'99 Piano Solo ・・「春」「夏」「秋」「冬」'00 「Calm」'02 「HEART OF THE COUNTRY」'03 「Jun Fukamahi Live」'04 Piano Solo ・・「花」「鳥」「風」「月」'05 と自らのhpにプロフィールが記載されているが、実際は遥かに彼が活動してきた功績は計り知れない大きな軌跡を形創ったといえる。深町という人となりだと思うが、たいへん謙遜している。世界は深町純の死によって、あまりにも大きな指標を失った。ご冥福をお祈りいたします。 2010年11月22日、大動脈解離による心嚢血腫により死去。64歳 永眠。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/11/25 11:46:40 PM
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