3ヶ月ぶりの投稿、昨日も書いたがhpを見る事も激減、ただ音楽三昧や映画は忘れることなく日々過ぎている。
小生の大好きな音楽家であり日本屈指の即興演奏家で作曲家の深町純のアルバムがEMIから発売になった。8月21日。昨年11月に他界し、彼の最晩年の録音である。一度に3枚発売になった。行方さんの渾身の企画であり、東芝EMIのメジャーから待望の発売である。
1枚は「黎明」というタイトルでオリジナル即興演奏の10曲入りのアルバム。2つ目が唯一のクラシックライブ(ショパンにシューベルト)、そして3枚目が日本の唱歌童謡に至るもの。
その3枚の中でも「黎明」には常住依空というか森羅万象のごとく晩年の人生を燃焼したかのような音跡がある。静寂と爆発するようなエネルギーの対当するコントラストだ。何故このような音楽になったのか、死に至るまでの痕跡はもしかしたらここに凝集されていたのではとも思われる。そういう音である。このアルバムの中から静寂に至る即興は深町純の真骨頂、その旋律の美しさ、そして間合から生まれる途轍もない美は生涯2度とは生まれない旋律である。
2枚目のクラシックライブはたぶん数回しかトライされたことがない珍しい集合で、小生は唯一ライブを聴いた。このショパン、シューベルト作品は通常クラシック音楽を聴いているものからすれば正直あまり良いとは思えないと思う。かくいう小生も何度も聴きなおしたが同じ感想を抱く。その中でもショパン=深町のアレンジものは面白い。唯一このアルバムの中でこれが深町と頷ける音楽になっている。
そして日本の唱歌・童謡編は以前に出ていた幾分かのアルバムの方が彼らしい音楽を表情の人として演奏されていたように思われる。このアルバムはちと残念にも感じた。
今までのデビュー(あてはまらないかな)から最晩年の集大成まで、深町の音楽を垣間見ると、シンセ屈指の70~80年代から2000年前後からの即興を中心にした様々な音楽、人生の転換期が今日までに残された彼の足跡である。演奏一回生、生涯に同じ音楽、音は二度は聴けない、その必然にして確固たる世界が彼の最大級の遺産である。小生はその中でも「春夏秋冬」の4枚のアルバムが深町純の全作品中で最高のアルバム、音楽であったとあえて確信した。
深町の音楽を聴くたびにいつも思い出すのが、世界的名指揮者、セルジュ・チェリビダッケの言葉だ。「音楽は存在ではなく生起するもの、響きは音楽ではなく音楽が響きを作り出す」。二度は同じものが存在しない演奏一回生、生前息子の誕生日に父の演奏した音楽会の音を録音して、誕生日のプレゼントにほしいと息子は言った。チェリビダッケは音楽は音はそこにしかない、息子に欲しいのであれば聴きにくるしかないと言ったほど。
即興という演奏一回生の世界がこれらのアルバムに残された。小生の生涯の宝であり琴線にふれるメロディラインはもう生まれないのかもしれない。
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