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テーマ:ニュース(99693)
カテゴリ:格差社会
緑茶飲料から相次いで除草剤の成分がみつかった事件をうけ、政府では省庁をあげて対応を協議しているという。
ふとこの間の中国産餃子騒ぎを思い出す。 あのときは農薬成分は中国側で混入されたというのが当然の前提の報道がなされていたが、実態はどうだったのだろうか。 「中国の工場はいいかげんだから」という感じで報道に接していたが、この日本の社会だっていつ毒物混入事件があったとしても不思議ではない社会に変質してしまったのではないのだろうか。 ※ ここ数年の世相の変化で目に付くのは「下流社会」の拡大である。 ネットカフェ難民、ワーキングプア、ニート、フリーターなど。 健康な若者がなんらかの原因で下流に落ち込むと、そこから抜け出すのは至難の業である。 そしてそんな彼らを支える地縁や血縁といったサポートは、昔と違ってほとんどなく、最後の絆である親だけが負担を全面的にかぶっていく。 最近目に付く無差別殺人の増加もこんな下流社会の拡大と決して無関係ではないだろう。 無差別殺人というのは決して刃をふりまわすだけではない。 そろそろ格差拡大路線にストップをかけ、再分配機能のはたらく社会にしていかないと、本当にとりかえしのつかないことになっていくように思う。 ※ 「受験のシンデレラ」(見ていないのだが)という映画は格差社会の中で人生は変えられるということをメッセージにした映画なのだという。 母子家庭の貧しい少女が東大受験をめざすという筋らしいが、まさかこの映画を監督した評論家の医師も、誰でも努力すれば東大医学部に合格できるなどと思っているわけではあるまい。 自分は努力したから成功したと思っている人間と自分は能力があるから成功したと思っている人間がいた場合に、前者のタイプを人は謙虚だと評するが本当にそうだろうか。 努力したから成功したと思っている人間は下流に沈んでいる人間をみても単に怠けていたからとしか思わないのではないか。 生まれ持った能力など自分には様々な僥倖が与えられたと思えばこそ、その幸運の果実のいくばくかを社会に還元していこうという発想もでてくる。 まあ、病気ですら「生活習慣病」などと読んで病気になった本人の責任にしてしまうような社会だから、ニートやフリーターも「多様な働き方を望んでいる」なんていう理屈で片付けてしまうのだろうけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月09日 06時10分03秒
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