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テーマ:心のままに独り言(8577)
カテゴリ:格差社会
終戦直後にはやった歌に「緑のそよ風」というのがある。
つきぬけたように明るい歌なのだが、歌詞をよくみるとなかなか興味深いものがある。 初夏の幸福な気分を歌っているのだが、蝶々が飛んでいるのは豆の花、妹がつんでいるのは摘み菜、そして庭には七色畑である。 七色畑というのは、どうやらここにしかでてこない言葉みたいであるが、狭い場所にいろいろな作物を植えているということなのだろうか。 つまり戦後の食糧難の時代には皆そうやって農作業をして食物を補給していたわけである。 ※ 日本でも昨今急速に貧困層が増えている。 ワーキングプア、ネットカフェ難民、生活保護水際作戦、ホームレスなど。 いつも不思議に思うのだが、そうした人々が菜園を作って食料を補給しているという話はあまりきかない。 もちろん庭や住居もないという例も多く、やりたくてもできないということもあるだろう。 しかし自宅をもっている人が庭の野草を摘んで食料を補給しているという話を聞くとおもわず首をかしげてしまう。 野草を摘むくらいなら、なぜ菜園を作らないのだろうか。 思うに農業と言うのは自分の手で食料を作るという根源的な営みである。 生活保護も、水際作戦などで金を出す出さないを争うのではなく、棄農地などを提供して菜園指導するなどの援助もあるのかもしれない。 もちろんある程度の健康と体力が条件ではあるのだが。 それとももう既に食料確保のための菜園というのはかなり行われているのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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