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テーマ:政治について(19874)
カテゴリ:格差社会
格差や貧困は昔からあったという人がいる。
たしかに数値的にはそうなのだが、昔と今とでは決定的に違うことがある。 それは比較の対象である。 まず他者との比較。戦前も貧しい小作農などは多かったが、マスコミも交通も発達していない時代とて比較の対象も同じ村の同じように貧しい農民にかぎられていた。また、同じ村の地主も飛びぬけた贅沢はしておらず、皆と同じに泥まみれに働き、村の祭りなどでは同じ席で同じものを食べていたことが多かったのではないか。 そして過去との比較。昔の貧困は、江戸、明治、大正という時代の移り変わりの中での貧しさであり、苦しい生活であっても、ランプがともった、電灯がついたということに喜びを感じたことも多かったのではないか。 でも、今の貧困は違う。 バブルの中で育ち大学も出ながら、就職に恵まれずその日暮らしという人も多い。 マスコミを通じて勝ち組の優雅な生活の情報も伝わってくるし、それでなくても中学や高校で机を並べた同級生がいい思いをしているという話もきくだろう。 今の社会、様々な不満がうずまいているのではないか。 近未来、この日本で共産主義などの貧困と社会変革を結びつけるイデオロギーが大ブレイクしそうな予感である。 ※ もちろん貧困層の不満を吸収するものとしてはイデオロギー以外にもある。 一つは宗教、そしてもうひとつは民族主義という擬似宗教である。 オバマが貧困層が宗教にすがりついているというオバカな発言をしたが、貧困層が宗教にすがっていたほうが為政者にとっては都合がよいはずだ。ただし日本にはイデオロギーに対抗するほどの強い宗教はない。 民族主義の方は戦前の日本で多用されていた。 曰く。日本は神国。万邦無比。日本人でいるだけでありがたいと思え。 そんな民族主義に洗脳され、貧しい庶民は我慢を強いられた挙句に戦場に連れて行かれた。 戦前派なら誰知らぬもののない爆弾三勇士も木挽などの最下層の若者達であった。 一部の政治家の考えは別かもしれないが、こんな手が二度と通用するとも思えない。 ネットで日本の技術力を誇りながら他のアジア諸国を蔑視した書き込みをする人もいるが、いくら日本の技術を誇っても自分のやっている仕事はティッシュ配り程度という空しさにいずれきづくことだろう。 ※ ネパールでは選挙で王制廃止と共産政権樹立がなしとげられた。 ネパールにも王制をよき伝統という人はいただろう。 しかし、貧困に苦しむ人にとっては、王制などは伝統というよりも単なる因習でしかなかったということである。 ネパールの王制の歴史は数百年だったようだが、たとえその王制が5000年、1万年と続いたものであったとしても同様であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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