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カテゴリ:格差社会
ついに週刊新潮もとりあげた多喜二ブーム。
でもそのタイトルが「多喜二はエリート銀行員だった」だなんて。 これって文学史に詳しい人なら誰でも知っている話でなんでこれが週刊誌の見出しになるの? それに週刊新潮だから揶揄して書いてあるのかななんて思ったら、中味は絶賛と読書のすすめだ。 最後は何度も読まれるのは本物だから・・・という評論家の言葉でしめくくっている。 大見出しと3ページの紙面で自社の文庫本の宣伝をするなんて。 ※ しかしついに多喜二ブームは週刊新潮にまでとりあげられるようになったか。 そういえば、時空はとぶけど、ヨーロッパでもキリスト教が普及する過程で民衆に訴えたのは異国の聖人よりも自国の殉教者の物語だった。 殉教者多喜二のブームは共産主義再評価につながるのだろうか。 昔と違って今は共産主義に対する抵抗感はない。 かっての「アカは怖い」式の感覚は、小学校から行われた国家神道の洗脳教育の成果だけではなく、人々が村社会や血縁共同体にどっぷりとくみこまれていたことにもよるのではないか。 ムラ共同体が日本を覆っていて、どこでも地主の総本家があって、日本全体の総本家が天皇家という構造である。 そんな中では共産主義思想などは共同体を破壊する異端思想として忌み嫌われたのも無理もない。 それに貧しい小作民だってムラの一員ではあったし(長塚節の「土」など)、都市の労働者も家族共同体はもっていた。 今のように貧困者が家族ももたず、定着した職場ももたずに浮遊している状態というのは歴史上初めてではないか。 そうした人々を中心に、やがては共産主義がカッコよい思想としてブームになっていくような気がする。 非合法時代と流血闘争の歴史をかかえた危険な匂い。 血をシンボルカラーとする赤旗。 自己責任や負け組などと弱者に対する嘲笑ばかりが聞こえてくる日本社会で「人間は平等だ。立ち上がれ。君たちには鉄鎖以外に失うものはなにもないのだから」というマルクスの声は新鮮で福音のように響くだろう。 大公園が赤旗で埋まり、インターナショナルやワルシャワ労働歌がこだまするなんていうときが案外近いうちにくるかもしれない。 ※ 労働者は分断され労組による地位向上も望むべくもない。 そして労働者の地位を守るはずの厚労省の役人が大企業に天下りする時代。 このままでは資本主義の暴走はとまらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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