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2008年06月01日
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カテゴリ:格差社会
どっかの国の諺に「這っていく人の上を飛んでいく人がいる」という表現があるという。
人の能力差の大きいことを表した諺である。
スポーツや音楽の才の差については子供の頃から誰でも実感するのだが、学業だって実は同じようなものではないか。
さらにいえば人の上にたち人を動かしていく能力や組織を運営していく能力。
こうしたものだってかなり天賦のものである。
もちろん努力や研鑽は重要だし、自分には能力がないといってみたところでよいことなど何一つない。ましてやあいつには能力がないというように人の能力云々を決め付けるのも傲慢というものだろう。
ただ、そうしたものを踏まえても人の能力には天地ほどの差がある。
これはどうも否定しようがない。

だから教育の問題にしても格差の問題にしても、この能力の差を前提にしない議論はどこかむなしくうそ臭い。
また、この能力の差を最初から前提にしておかないと、逆にそれを結論にしてしまうことにもなりかねない。
能力に差があるのだから格差はあってあたりまえだというように。
また、能力の差をいうと、それをすぐに人間としての「価値の差」のようにとらえ、反発する人も多い。
運動能力や容姿の差を指摘しても、それで人の価値の優劣(女性の価値はともかくとして)が決まるなんて思う人は多くないのに、なぜ知的能力となるとすぐに人間の価値の差にむすびつけるのだろう。
それこそ不思議だ。
たしかに今の社会では知的能力が社会での成功の鍵を握る場合が多い。
もちろんこの知的能力というのは、組織運営能力、指導力、専門知識などで、学力などはそのごく一部にしかすぎないのだが。
でも、社会的成功というのなら、運動能力や容姿、音楽的才能などで成功する人もいるのだから、知的能力だけが特別というわけでもあるまい。

アフリカ開発会議のイベントで、「人間○」という人文字を作った写真があったが、格差や貧困の問題を考える上での発想もこれにつきるように思う。
能力などの様々な差にもかかわらず人間というものはそれだけで価値ある存在なのだという考え方である。
そしてまたそうした価値を認めない社会は結局はうまくいかないのではないか。
能力に差があるから格差は当然というのではなく、能力云々にかぎらず人間は価値あるもので、だからこそ誠実に真面目に生きている人が人間として生きるにたる人生を送ることができるようにすることこそ政治の役割なのではないか。
格差社会といって、多くの人が貧困や希望のない状態に追いやられているような社会は、結局は病んでいる。
憲法25条の精神もそこにあるのではないかと思う。
今、話題の蟹工船。ようやく書店で平積みになっているところから購入した。
感想はいずれ日記に書くこととする。

なお能力と社会的成功を結びつけるのは一般論であって、個別には運不運も含め様々な要素があるだろう。そういう意味で別に今の貧困者の一人ひとりが能力がないといっているわけではないし、そうした人々が再チャレンジの機会を持つことは重要だと思っている。
※※
アフリカ開発会議の関連でアサヒは何ページもさいてアフリカの貧困問題の記事を掲載していた。バブル時代ならともかく今の日本の現状を考えると違和感を感じてならない。
日本は、もはやゆたかな国ではなく、貧困や格差が急速に広がり、強盗殺人などの事件も毎日のように起きている。
アフリカ開発会議に使ったあの膨大な税金は、日本国内の貧困者のために使った方がよかったのではないか。





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最終更新日  2008年06月01日 09時03分34秒
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