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テーマ:政治について(19874)
カテゴリ:格差社会
格差や貧困の問題になると必ずでてくる議論がある。
それは自己責任論である。 スキルがないのが悪いという某政治家の発言などその典型なのだが、そうでなくても貧困や格差の問題については、「重要なのは機会の平等」だとか「格差は乗り越えられる」といった式の議論は多い。 たしかに高校の卒業証明と少々の金があれば、誰でも東大理3は受験できるわけで、そういう意味では「機会の平等」はあり、試験に受かれば「格差は乗り越えられる」のかもしれないけど、ちょっとそれは違うだろう。 某評論家が監督した映画「受験のシンデレラ」が格差社会の処方箋だなんて、悪い冗談にしか思えない。 それはともかくとして、そんな自己責任論の跳梁の中で自分を責め、自己嫌悪を募らせ、あげくは自己や他人に向けて暴発してしまう若者は多い。 本当のところ、彼らに必要なのは自己責任論でもなければ、「負け組」という烙印でもない。 連帯し、ともに社会を変えていこうとよびかける勢力である。 今、若者の半分は非正規雇用だという。 もちろん非正規雇用といっても高収入の人もいるし、全部が全部悲惨な境遇と言うわけではない。しかし、一方では現代のタコ部屋を髣髴とさせる話もあるし、低収入や過酷な労働や労災などの実態もある。 そろそろこうした人々の声がもっともっと大きくなってもよいように思う。 貧困についての自己責任論という呪縛はそろそろとりはらうべきときである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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