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2009年02月03日
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カテゴリ:格差社会
いまだにこういう議論があるとは驚きである。
「いくら不景気だといっても餓死者がいるわけではなく、努力しだいでどんな職業にも就ける、自由で豊かな諸外国と比べて格差の少ない社会であることはいうまでもない。」
今の日本を評した文章である。
出典をいえば今月号の「諸君」に掲載されていた「宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください」という文章で筆者は山際澄夫である。

不景気や貧困といっても餓死者や凍死者がいるわけではないという発言はこれに限らずあちこちにみられる。
日本の貧困はアフリカよりマシという某有名女流作家や経済界の重鎮の発言もこれにつらなるものだろう。
現実には餓死や凍死はある。
餓死のニュースはちらほら報道されているし、ホームレスなどの凍死はたぶんニュースにもならないだけだろう。上記のような発言をする人はこうした事実が目に入らないのだろうか。
それにたとえ餓死や凍死をしなくたって、人は「餓死や凍死」をしないために生まれてくるのではない。貧困のレベルが人としての尊厳を保持し、健康で最低限度の生活にみたないものであれば、それはそれで問題であろう。

努力しだいでどんな職業にも就ける。
これは中学生でも聞いたら笑い出すのではないかというくらいの明らかな嘘である。
言った本人ですらたぶんこんな言葉は信じていまい。
思うに日本ではこうした建前としての努力信仰が強すぎ、それが貧しいのは努力不足のせいだといった貧困の自己責任論につながっているように思う。
努力ではどうにもならない部分が多い。だからこそ皆人生には苦労しているのである。
努力しだいでどんな職業にも就けるものなら、日本社会はスポーツ選手とタレントであふれていることだろう。

日本が自由な国というのも、どこと比較してということだろう。
確かに公開処刑や強制収容所のあるところよりは自由だろう。
しかし他の民主国家と比べた場合、集会やデモの規制、総理邸宅見学ツアーや新聞投函で逮捕などという実態をみる限り、とてもそんなに自由な国だとも思えない。
不況をきっかけにヨーロッパなどではあちこちでデモが起きているようだが、日本でああいうデモがあれば、きっと逮捕者がでるだろう。
格差についても、同様にどこと比較してという話である。
文化や社会風土によって格差の認識は違う。
もともと皆が平等であるべきであるという規範や感覚の強い社会ともともと不平等は当たり前ということを前提とした社会では、同じような格差でもその受け取り方はずいぶん違うはずだ。
たしかに地球上にはとんでもない格差があって、それでもそれなりに安定している社会というものはある。たぶんそういう社会では多くの場合、宗教などが安全装置の役を果たしているのではないのだろうか。画面いっぱいの多勢の人がいっせいに祈りをささげる場面などがテレビでよく紹介される。もし人間が絶対神の被造物だというのなら、人には努力などを超えた差があるのはあたりまえであるし、来世の平安は富者にも貧者にも平等に開かれているのであれば、それは現世で苦しむものにとってはこよなく慰めになることであろう。





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最終更新日  2009年02月03日 08時16分02秒
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