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韓国歴史ドラマ「チャンヨンシル」を見ている。
チャンヨンシル、すなわち荘英実は15世紀の朝鮮の科学者で天体観測や雨量計の発明で今日まで名が伝わっている人物である。伝記は不明の部分が多いのだが、母親が妓生で、官奴の身分から学識や才能を認められて、名君とされる世宗大王にとりたてられたというあたりは確実なところである。不明な部分は自由に脚色してあるのだが、自然法則に対するつきせぬ関心と奴隷の身分としての閉ざされた将来への絶望感は、実際もそうではなかったかと思わせる。 ドラマでは父親チャンソンフィが妓生の生んだ子ながらヨンシルが我が子であることを確信し、「優秀な息子が奴卑として生きていくのを見るのは辛い」と言って、故郷を去っていく。父親も我が子に才能を伝えることはできても、妓生との子である限り、身分を伝えることはできない。その父親の辛さと、「奴卑として生んでごめんね」と謝る母の涙が切なく描かれる。 朝鮮時代劇には王や権力者の暴虐や過酷な身分制度が描かれることが多い。奴隷という身分は朝鮮王朝の時代まで存続し続け、この点、遊女のような実質奴隷はともかくとして、制度としての奴隷制度は近世以降は確認できない日本とは状況が異なる。北朝鮮の圧政や「成分」とよばれる極端な身分制は異様な感じがするが、半島の歴史では、そういうものも普通だったのかもしれない。政府高官が突然逆賊として捕縛され、一族が皆奴卑の身分に落とされるというのもドラマではよくある。 そんな過酷な境遇から名君世宗大王により道が開けてゆくのだが、ドラマの背景にある自然科学に対するリスペクトが心地よい。人間には本能として探究心や新しいことを知りたいという欲求が備わっている。もちろん最前線にたってそういう分野を切り開いていくのは少数の選ばれた人間なのかもしれないけど。武将や政治家を主人公にした歴史ドラマもよいが、こうした学術分野の先達を主人公にした歴史ドラマもよい。 それにしても、こうした自然科学分野で名を遺した人物が最下層の身分の出身だったということが興味深い。逆に言えばそれ以上の身分の者では自然科学に適性があっても、他の分野に行っていたということなのだろうか。中国や朝鮮で長いこと続いた科挙制度だが、才能ある者を官吏という特定分野に吸収しすぎたことは大きな弊害だったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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