アカデミー会員との懇談の後はENA時代の仲間たちとのパーティー。ところで大衆どもは何を騒いでいるのだね?
は、ガソリンが買えず、このままではクリスマスも祝えないと騒いでいるので。
ふっふふふ…ガソリンがなければ電気自動車に乗ればよいのに。
なんて台詞をついつい想像するおフランスの黄色いベスト運動。いったい今はどうなっているのだろうか。
閑話休題
最近、ひょんなことから精神障碍者三級という方と知り合う機会があった。
障碍者三級というと支障は少ないのだが、それでも身体的障害であれば客観的判断ができる。例えば人工股関節を入れれば身体障碍者三級なのだが、これは物理的に人工股関節が身体にあり、それなりに座る際に難があったりもする。けれども、精神障害となると、もっとファジーで障害と健常の差異はわかりにくいのではないか。
そういえば戦前、「神経衰弱」という病名が多用された時代があった。
推測なのだが、神経衰弱は病気というよりも、もっと広い意味でつかわれ、医師の診断も乱発されていたようだ。今ではこの病名はトランプゲームの名前に残るのみで診断としてはほとんど使われていない。
また、ひところ言われた「ノイローゼ」とか「心身症」という言葉も最近ではあまり聞かず、これも病名としてはやりをすぎたのだろうか。
もしかしたら精神病の中には、痴呆、幻覚幻聴、奇矯な行動のような明らかに「異常な症状」というものがあるのは否定できないのだが、それ以外はかなりファジーなもののように思う。
実際に会った精神障碍者三級という人などはいったいどこが障害なのか、正直よくわからなかった。
障害認定は支援など本人の利益になる面もあるが、その一方で、「障害」というレッテルが人生の選択を狭めることもある。
ハンセン病の隔離政策や障碍者の不妊手術など、当時はもっともなこととして行われても、今になっては、人権侵害だとして批判されている。精神障害の認定の中には、将来、不必要に精神障害のレッテルを貼ったと批判されるようなものはないのだろうか。