世の中は新型肺炎のニュースで大騒ぎなのだが、感染者のうちどのくらいが発症して、その中のどのくらいが重篤になって、さらにどのくらいが亡くなるのかという基本的な話はあまり報道されていない。感染力は非常に強そうなのだが、そうだとすれば実際の感染者は相当数にのぼっているはずだ。明治期の日本では何度か赤痢やコレラの流行があって、死者数は相当数に上った。そんな恐ろしい病気でなくとも、インフルエンザでも毎年、高齢者を中心に相当数の人が亡くなっている。そうしたものとの比較で新型肺炎はどうなのだろうか。なお、肺炎というと肺炎球菌を連想するが、実際には肺炎というのは症状であって、菌がおこすものもあればウィルスがおこすものもある。「新型肺炎」という名称は非常に恐怖感をよびおこす。
それにしても言葉というものの力は大きい。人は言葉によって考えるものなので、あるものにどんな言葉をあてはめるかでかなりその後の思考が違ってくる。ある政策に「改革」という名を冠するだけで、その政策が無条件でよいもののように思ってしまうことは多いし、実態をむきだしにしないためにより耳慣れない名称やぼかした名称を使うこともある。IR(総合リゾート)なんてのはその最たるもので、レストランやゲームセンターなら新たな法律を作る必要などはない。実態はカジノである。ならばなぜストレートにカジノという言葉を使わないのだろうか。カジノ推進大臣、カジノ推進のための賄賂…そう言った方がはるかに明快なのに。
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