|
カテゴリ:カテゴリ未分類
街を歩いていると時々あれっと思うような目を引く建物がある。
慶応大学近くの札ノ辻のあたりは再開発の工事中で、今のところ高い建物はないのだが、その向こうの高台に変わった形の建物が見える。最初は取り壊し中の建物かと思ったが、よく見ると、中二階のような部分が空洞になっており、植木と国旗が見える。なにやら天空の城を思わせる斬新なデザインであり、国旗はフランスかイタリアの国旗でレストランなのかもしれない。 そこで街角ウォーキングのコースとして、その建物を目標にしてみた。 まず三田三丁目の交差点(JR田町駅、地下鉄三田駅)を起点に聖坂を上ってゆく。聖坂というのはそのあたりを高野聖が往来していたことからついた名で、こうした坂道の名の由来を示す柱がたっている。現在、山手線が走っているところは海だったというから、高野聖がいた頃にはこの坂からは眼下に海が見えたであろう。 坂道の途中に亀塚稲荷という小さな神社がある。この境内(といっても鳥居のすぐ横)には青く平べったい石でできた「阿弥陀種子板碑」という塔がある。説明によると、秩父の緑泥片岩でできた供養塔で鎌倉時代中期から室町時代にかけてのものだという。神社の中に阿弥陀というのも変な気がするが、神仏混交の時代が長かったことを思えば別におかしなことではない。それよりも不思議なのは、亀塚稲荷は太田道灌が物見台を作った時に建立したというのだが、太田道灌は室町時代の武将だという。それなのになぜ鎌倉時代の元号を刻んだ碑があるのか。どうもよくわからない。 亀塚稲荷を越えると、英語のフレンドにちなんだ校名の普連土学園があり、その隣に例の奇妙な建造物がある。見てみるとクウェート大使館で、国旗はレストランではなく、大使館だったからであった。建物の斬新なデザインは後で調べてみると丹下健三作だということだ。 そこは坂道の最高地点に近く、向かい側にわたり少し歩くと本当の最高地点亀塚公園の亀塚である。この亀塚という小山は築山であり、昔から古墳だといわれていたらしいが、古墳という確証はないのだという。亀塚に登ってみたが、周囲には高層ビルが多く、期待していたほどの眺望はなかった。 そこから坂は下りになり、少し歩くと左手に分かれる長い坂がある。これが幽霊坂で名の由来は付近に寺社が多く、幽霊がでそうな寂しいところだったということらしい。もっともこれには有礼坂という別名があり、こちらは付近に森有礼の屋敷があったことに由来するそうだ。このあたりは今も屋敷町のようで、相当の一戸建てが並んでいる。幽霊坂という地名は地価には影響しないのだろうか。この坂は国道一号に出るあたりで急坂になり、道のわきには手すりまでついている。このあたりになると、屋敷町とはだいぶ趣の異なるアパートらしい建物もある。幽霊坂という地名は実は東京だけでもあちこちにあるという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|