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カテゴリ:DV
日本にカウンセリングと言う言葉が定着してまださほど時間はたっていませんが、巷には◯◯カウンセリングという言葉があふれています。いわゆる心理カウンセリングを狭義のカウンセリングとしておきましょう。
カウンセリングにおいて、傾聴ということは基本ですが、ーんーん、◯◯ですねぇー、ーんと言い続ける事がほんとのカウンセリングと思い込んでる人もいれば、恐怖にコントロールされているクライアントを脱コントロールするために、かなり厳しく追いつめて直面化させる事こそ、クライアントの利益だ、と二次被害を与える人もいます。 また、クライアントの語りに共感するのはいいけれど、逆転移した感情が自分でコントロールできなくなって(いわゆる巻き込まれて)、自分も辛くなるはクライアントやその周辺を混乱に落とし込んでしまうやら、そういう人の存在もしばしば聞くところ。 受容と許容は異なるし、共感と同調も異なります。クライアントの語りには傾聴しその感情には深く共感しながらも、クライアントの状況を冷静に客観的に理解し、クライアントが自己洞察を深め、よりベターな選択、自己決定して行けるよう、サポートして行く事がカウンセラーの仕事です。 私はクライアントができるだけ冷静になれるよう聴き込んで行きますが、そのためにはクライアントがどんな語りをしようと、それにまきこまれず冷静に自身を立たせるだけの自己信頼はあるつもり。その自己信頼がない人は、知識や権威、資格や名声で自己防衛するしかありません。 残念ながら、多くのカウンセラーや専門家と言われる人は、このタイプの人のようです。勿論それが悪いと言っているのではありません。そういう専門家に頼りたいと言うクライアントも多々いるでしょう。そんな人のために権威を大切にする専門家が存在するのは大切な事でしょう。 けれど、権威や知識で傷つけられた人にはそれらを振りかざさないで、同じ地平に立ちつつもゆらぐことなく、受け止めてくれる存在は貴重でしよう。そういう専門家、そんなカウンセラーはどこにいるんでしょう。勿論、私はそうありたいと思うがゆえにノープランド、勝手に名乗るメンズカウンセラーでいるわけですが、それゆえに、世間からは、理解もされにくいし批判非難の対象にされやすいものです。 専門家はクライアントをラベリングする事を世間は認めていますから、クライアントの問題行動に対してクライアントにラベルリングすることで自己防衛をはかれます。けれど無資格でラベリングしない私はその自己防衛は不可能です。ですからかなりリスキーです。実際私はある業界では様々な言説で語られ、かなりの不利益を被っています。けれど、クライアントから不利益を被った事はないし、私が関わったと言う事でクライアントが大きな事件事故に巻き込まれたと言う事もありません。 このあたりの私の確信について、それと同じものを他の人が持ちうるのかどうか、まだなんとも言えませんが、焦らず、これからも伝えて行きたいと思います。 なんか今日は理屈っぽくなってしまいました。最後まで読んでくださって感謝です。お疲れさまでした。そういえば今日は久々に保育サポートの仕事が入りましたが、ほんと子どもたちの姿っていとおしいし、可愛いものです。私の「母性」がうずきます。またいろいろある中で、そこまで子どもたちを育てて来たその親御さんにもいとおしい思いが湧いてきます。 この私の感情って、みなさんは理解できますかねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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